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2019年4月20日 (土)

久成院と野仏(世田谷区桜丘)

現在の世田谷区桜丘はかつての横根地区と宇山(ウザン)地区からなる。宇山地区は世田谷通り以南、環八以西の一部も含んでいた。宇山という字名の由来については、二子玉川の北側、東名高速以南の地域を今も宇名根と呼ぶが、その宇名根村の人がこの地域に入植して開墾したため、宇名根山屋という村名で呼んだのが起こりだという。宇山地区の鎮守は宇山稲荷神社だが、もともと小さな稲荷だったようだ。

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宇山稲荷神社の向かいにあるのが久成院(クジョウイン)。 南照山久成院東耀寺が正式な寺名だが、地元では久成院で通っている。創建年代は不明だが、開山したと伝えられる良尊法師の没年が元和6年(1615)ということから、江戸時代初期の開山と思われる。宇名根から入植した関係で、宇名根にある観音寺の末寺と言われる。また宇名根の観音寺は深大寺の末寺なので、本山は深大寺。

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久成院の山門を入るとすぐ左側に庚申塔の堂宇がある。三基並んでいるが、中央は地蔵立像で、左右が庚申塔である。


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真ん中の地蔵立像は念仏講によるものだろうか、造立は天和2年(1682)と彫られている。五代徳川綱吉が生類憐みの令を発する少し前、江戸もかなり安定した時期で、世田谷のこの辺りも江戸に野菜等を供給する農村として人口が増え始めた時代である。

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左側の庚申塔は青面金剛を三猿が支える典型的なもの。板状駒型で造立年は地蔵立像と同じ天和2年(1682)である。右側の庚申塔も板状駒型で似ているが、造立年は宝暦4年(1754)と時代が少し新しくなる。

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本堂の右手に回り込むと六地蔵がある。宇山(宇名根山屋と彫られている)の念仏講中によるもので、宝暦13年(1763)の造立。周辺には多数の石像石柱石仏があり、周辺が開発されるにつれてここに移設されたものたちなのだろうかと推察してしまう。

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昭和初期の馬頭観音などもあり、戦前までは牛馬による農村生活があったのだろう。上の写真の右側の石仏は道標の上に地蔵が載っているもので、この地蔵は首なし地蔵と呼ばれてかつては桜丘小学校(筆者自宅の最寄り小学校)の傍らにあったもの。「左 村中道 右  府中道」とあり、昔小学校の真ん中を府中道が通っていた時代のものであろう。地蔵の造立は寛延元年(1748)とある。

久成院はかつての農村の姿を現代に残してくれる貴重な存在である。

東京都世田谷区桜丘4丁目13 

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