笹塚庚申堂と笹塚(渋谷区笹塚)
京王線笹塚駅の「笹塚」の地名の由来が駅前甲州街道を渡った先にあることを知る人は多くない。昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚があった。その上には笹(竹)が生い茂っていたことから、この地は笹塚と呼ばれるようになった。またその塚はある説によると、江戸時代の初め、慶長9年(1604)に大久保長安によって造られたという。大久保長安は元武田信玄の家臣だったが、後に家康に仕え、金銀の発掘や一里塚の整備、町間尺の里程標を構築した当時のトップ官僚である。1里=36町、1町=60間、1間=6尺という基準を全国に徹底させた人物。
既に笹塚は残っていないが、説明板がタイムスパークの植込みに立っている。新宿(内藤新宿)の追分からちょうど1里(4㎞)の距離である。ただし他の街道の一里塚はかなり立派なものなのにここは残されていないのが残念である。文献では天保14年(1843)の時点では両側に塚があったとある。
笹塚から200mほど西に進み、郵便局の手前の路地を入ると立派なお堂があり、庚申塔が1基祀られている。笹塚庚申堂である。駒型で青面金剛像と三猿が彫られている。造立年は元禄13年(1700)である。庚申講は概ね農民の民間信仰だったが、ここではなぜか商売の神様に仕立て上げられてしまった。今でも商売繁盛を祈願してお参りする人が多いという、不思議な話である。
実はこの庚申堂の1本西の路地裏のアパートに1年余り住んでいたことがある。四畳半、共同炊事場、共同トイレのボロアパートで、家賃が13,000円だったと思う。大原交差点が近く、あまりに空気が悪くて病気になりそうなので短期間で引っ越した。1970年代の終わり頃のことである。当時もここには庚申堂があったはずだが、全く記憶にない。
場所 渋谷区笹塚2丁目20-1
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