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2019年5月 8日 (水)

弦巻五丁目庚申堂(世田谷区弦巻)

弦巻の地名の由来は諸説あるが、台地の地形であったことから「水流巻(ツルマキ)」と呼び、水の流れが渦を巻くほど激しいところという由来が個人的には好きである。弦巻を東西に流れていたのは蛇崩川で、その源頭は弦巻村の西のババ池とその南のジジ池の二つの湧水だったという。ジジ池は現在の馬事公苑の東(弦巻5-32)で弁天の小祠が残っている。ババ池は桜新町駅の近くにあったようだが、両池とも戦後不法占拠され既得権として開発されたいきさつがある。蛇崩川は小さな川だが一旦大雨が降ると氾濫する川だったので、水流巻が弦巻になったという説が気に入っているのである。

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世田谷通りのカーブに松ヶ丘交番という派出所がある。弦巻地区の小学校は弦巻小学校と松丘小学校、松が丘の地名の由来についてはいろいろ調べたがまだ掴んでいない。松ヶ丘交番の斜めに分岐する道を進むと1~2分で写真の庚申堂に着く。地元の古老の話でもお堂はイボ地蔵とここの2ヶ所にあったというので、昔から場所は変わっていないだろう。きれいなお堂で、かつ隣接の戸建の塀がステゴザウルスのデザインになっているのが洒落ている。

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堂宇の中には庚申塔が1基のみ、大切に守られている。駒型の青面金剛像が邪鬼を踏みその下に三猿が描かれている。造立年は安永2年(1773)である。古老の話だと弦巻の辻にはお地蔵さんがあちこちにあったというが、現在はほどんどない。戦前は弦巻はほとんど農家だったという。少し南に行くと、蛇崩川洗い場跡というところがあり小さな公園になっている。

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ここにはユニークなレリーフがある。大山詣の姿を描いたものらしい。大山(丹沢)は雨乞いの山岳信仰で江戸時代に広く信仰された大山講の信仰対象の山。青山方面から、世田谷、二子、溝ノ口、長津田、伊勢原を経て大山に至る道の世田谷部分がここを通っていた。三軒茶屋から世田谷通り、ボロ市通り、そこから弦巻に南下し、用賀を経て二子に至るのがこの街道である。このレリーフは後期の大山詣に出かけたプチブルジョアの商家の主人らしく、江戸時代後期になると、帰りに江の島や鎌倉で観光をして遊んだお気楽な大山詣の姿のようだ。

場所  東京都世田谷区弦巻5丁目19-20

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