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2019年5月22日 (水)

向台子育地蔵尊(中野区弥生町)

中野区弥生町は高度経済成長期以降の地名。 古くは本郷村、青梅街道と甲州街道の間の農村で、神田川流域の豊かな田畑の村だった。本郷というのは古来、地域の中心地に付けられる地名で、その名の通り江戸時代以前には現在の東京西部の中心的な地であった。江戸時代以前は大きな枠から、「国」「郷」「村」と細分化されていたが、本郷村には郷司(今でいえば複数の村をまとめた郡の首都)もあったという。

弥生町は駅もなく(最寄りは中野坂上、中野新橋)新宿徒歩圏内なのに人気も薄いのだが、過去を紐解いてみると意外に栄えていたことがわかる。本郷の地名は神田川の北側にある広い「本二本郷やすらぎ公園」、山手通りの弥生町一丁目交差点から西に延びる「本郷通り」の名前に残っている。

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向台子育地蔵尊のある二又は左(南)へ行くと幡ヶ谷村、右(西)へ行くと雑色村という村道の分岐点にある。左へ下った幡ヶ谷村との村境には高札場があった。現在の方南通り本町4丁目バス停辺りである。明治時代から大正時代までは小向という小字、昭和になってからあたりは向台という地名になった。しかし向台という呼び名は江戸時代からあったようだ。

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この子育地蔵は、寛政8年(1796)に旧本郷村の念仏講の人々が、子供と旅人の安全を祈願して造立し、台座には「三界万霊本郷村念仏講中 右ぞうしき道 左はたがや道」とある。 地蔵信仰は中世から庶民の間に広がり、江戸時代にピークを迎えた。向台子育地蔵尊は現在まで地元のコミュニティの要になっている。

場所  中野区弥生町1丁目43-20

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