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2019年5月 7日 (火)

さわら庚申(目黒区中町)

駒沢通り沿いにある庚申堂。 堂宇があまりに立派なのでいささか驚く。 瓦葺のお堂だが、まずその瓦が立派。 鬼瓦があり、柴又題経寺(柴又帝釈天)の菱形の渦巻きの寺紋が付いている。 「さわら庚申」という名前の由来は、近くにサワラの樹があったためと極めて単純。この場所は江戸時代から目黒村の重要な辻(交差点)であり、かつ目黒川支流の谷戸前川の源頭でもあった。その流れは現在も暗渠として残っている。

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昔からの道が駒沢通りに出ようとするその場所にさわら庚申があるので、道は二つに枝分かれしている。その三角地帯には、さわら庚申以外にも様々な石塔が立っている。一番大きいのは皇太子殿下御降誕記念とある。これは石ではなくコンクリート製。 造立年は昭和9年(1934)と新しいもの。ただ、コンクリートなので他の石塔よりも早く朽ちてしまうだろう。

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堂宇には3体の庚申塔が所狭しと肩を擦り合わせるように並んでいる。 左は駒型青面金剛像で造立は元禄10年(1697)と古い。真ん中は一番大きく、舟型青面金剛像に日月と三猿が描かれている。こちらの造立は元禄5年(1692)とこれも古い。 しかし最も古いのは右側の板碑型の庚申塔で、献開眼帰命帝釈天王と彫られている。 この庚申塔が帝釈天との関係が深いのだろうか。造立は寛文3年(1663)と江戸時代初期のものである。

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庚申堂手前に朽ちかけた道標がある。造立年は消えかけているが安政年間(1854~1860)であることは間違いない。 正面には、おく沢 ひもんや いけかみ道とあり、南西方向に向かって街道が伸びていたことがわかる。右側は、ごほん木 ふたこ道とあり、昭和通りを経て玉川通方面へ抜ける街道があった。 左側には、あさふ あお山道 とあり、都心に向かう駒沢通りそのものを案内している。道標はその位置関係が分かるととても面白い。

場所   東京都目黒区中町2丁目38

 

 

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