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2019年5月21日 (火)

淀橋庚申堂(新宿区西新宿)

伝説のバンドとなったはっぴいえんどの1970年のファーストアルバム、ジャケット写真から『ゆでめん』と呼ばれる。このゆでめんの場所が西新宿(旧町名淀橋)にある。風間商店という製麺所だったのだが、裏には川が流れていて、この川は神田川の笹塚支流(通称和泉川)というドブ川だった。現在は暗渠道路になっている。山手通りに「清水橋」という交差点があるが、この川の上流である。ゆでめんの脇には当時の欄干も残されていてとてもノスタルジックなエリアになっている。

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上の写真の右端にある低い塀のようなものが欄干の一部。 その脇には柳が植えてある。この橋は柳橋という橋で、当時の柳を復活しようと近所の有志が植え直した。柳橋の少し南側に旧商店街を進むと、道の分岐に淀橋庚申堂がある。

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地元で大切にされている庚申堂だが、中にある石仏は意外と新しい。中央の駒型青面金剛像で下に邪鬼と三猿を掘った庚申塔は、昭和29年(1954)のもの。私よりちょっとだけ長くこの世にいる。左の塔は摩耗と風化が激しくよく分からない。右の一猿の像も造立年はよめない。ただし真ん中の庚申塔は再建されたもの。庚申堂自体はもっと昔からあった。

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現在暗渠になっている笹塚支流は昭和になってから湾曲を付け替えた流れが残っているのであって、大正以前の流れはこの庚申堂の真裏であった。庚申堂裏から流れを120度ターンしてゆでめんのあった風間商店の辺りに向かって流れていたのである。そしてゆでめんの裏には水車があった。この庚申堂よりも東南は角筈村の本村(中心)で当時から多くの人が住んでいたのだろう。

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気になったのは堂宇の右手に並べてあった地蔵立像である。左の石仏は享保6年(1721)、中央が享保18年(1733)、右側が明和年間(1764~1772)のものとかなり古い。堂宇にあった説明書きを読むと、「当所の庚申塚は昭和6年の調べでは三基の石碑は寛文4年(1662)等の文字が刻まれていた。」とある。

江戸時代の切絵図を見ると、堂宇の場所は角筈村、ゆでめんの柳橋が本郷村、幡ヶ谷村、角筈村の三村境界だったようだ。本郷村というのは現在の丸の内線支線から中野坂上の南にかけての神田川流域の村。湿地帯と水田が入り混じる土地だったのだろう。

場所  新宿区西新宿5丁目23-5

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