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2019年5月26日 (日)

相州大山不動明王(中野区弥生町)

川島通りの西の端、商店街を出てバス通りを横切った先の南側にお堂がある。門柱に「相州大山不動明王」とある。江戸時代の江戸の町では富士講や大山講という山岳信仰が盛んであった。後期になるとそれらは観光旅行の様相に代わっていったのだが、もとは農民の自然への敬いからくるものであった。大山は雨乞いの山として弥生時代から信仰を受けてきた。神田川流域の農民が大山信仰に入り、大山詣でをするのは、自然なことだったのだろう。

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この不動堂の創建は天保年間(1830~1844)で、場所はここではなく少し東の四つ辻にあった。昭和の初め頃、何らかの理由で現在の場所に移された。戦災で不動堂も不動明王像も被害を受けたが、後にお堂も像も再建されている。雑色村の人々の大山信仰は深く、昭和になっても大掛かりな大山詣でが続いた。モータリゼーションの時代になるとバス数台を連ねて夏の大山詣でに出かけたそうである。

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大山阿夫利神社の主祭神である不動明王を地元のお堂に再現して、毎日のように信仰する農民の気持ちが、昭和になっても続いていたことにはいささか驚く。富士講も大山講もそれぞれ御師というツアー案内係がいて、修験者などが里に下り、各地を回ってそれぞれの信仰をプロモートした背景がある(伊勢参りや出雲詣でも同様)。この地域の大山詣では正蔵院を中心に江戸時代から発展した大山講によるものである。

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堂宇の脇にかつて四つ辻に建っていたと思われる道標があった。程度が良いので再建されたものであろう。正面には「大山道東江戸」、右面には「北 中野 堀之内 道」、左面には「南 大宮八幡 道」とある。南は方南通りに出て西へ向かうとそのまま大宮八幡宮でこれは古道である。北へ行くと中野で青梅街道に出合うが、堀之内は真西に進むべきである。これでは都心で大宮と府中が同じ方角ということになってしまう。もっとも道は沢山あるので、途中で曲がればことはないのだが。

場所 中野区弥生町4丁目3-13

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