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2019年5月18日 (土)

上目黒氷川神社の大山道標(目黒区大橋)

国道246号線(玉川通り)と環状6号線(山手通り)の立体交差の傍、ほぼ首都高速道路に近い高さにある神社が上目黒氷川神社。大橋になるのに上目黒とはと思うが、江戸時代この辺りは上目黒村。従って神社の名前はそのまま村の名を取って上目黒氷川神社である。ここは台地の突端でもあり、東側の山手通り脇には目黒川支流空川の谷、南側には目黒川本流の谷がある。

かつての大山道は道玄坂上から一気に大坂を下り、空川を渡った後、この台地の突端を迂回するように三軒茶屋方向に走っていた。ここに昔からあったのが氷川社。ちなみに元の石段は文化13年(1816)に築かれたという。

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この崖の高さは10mを超える。国道の拡幅で敷地を削られて一段と階段が急になった。階段の左上には移設されてここにやってきた富士講の目黒新富士がある。文政2年(1819)に代官山の目切坂上に築かれた目黒富士だったが、明治11年(1878)に岩倉具視が別所坂上に別荘を建てることになり、目黒富士はこの地に移設された。その後目切坂上の富士塚は東武鉄道社長の邸宅改築のために取り壊された。

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階段下の左手に供養塔と道標がある。供養塔の造立年は不明。「武刕荏原郡古菅刈荘目黒郷」と書かれた供養塔は上部が欠損している。もしかしたら「目切坂再建供養塔」かもしれないが、わからない。 右側の角柱型の石塔は道標。 大山道という正面の大きな文字の下には、「せたがや通り 玉川通り」、右側面には「右 ひろう(広尾) めぐろ 池かミ 品川みち」。左側面には「左 青山 あさふ みち」とある。この道標はここにあったものではなく、玉川通りから目切坂へ向かう日向道(山手通りと並行した北側の道)が目切坂の上りを分岐する場所にあったものを、明治の末に移したという記録がある。

場所   東京都目黒区大橋2丁目16-21

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