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2019年6月27日 (木)

烏山念仏堂の石仏(世田谷区南烏山)

烏山神社の北側に烏山念仏堂がある。念仏堂の隣には昔、寺があったと伝えられるが、村人たちはこの地から離れた三鷹の真福寺、宇名根の常光寺、その他杉並の寺などを菩提寺にしていた。しかし遠くて不便なので、相当数の村人はこの地に共同墓地を設けて先祖を葬っていた。念仏堂は閻魔様が祀られ、明治6年には烏山村で初めての学校「温知学舎」が開設され、後の烏山小学校の発祥の地とされている。

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東京の郊外にはこういう寺ではない墓地をしばしば見かける。船橋観音堂もそうだし、杉並や板橋にもある。ただ、地物との人々の信仰が深いので、多くの石仏が大切に保存されているのが何よりである。入口を入るとすぐ左の屋根付き堂宇に収まっているのが、元禄2年(1689)造立の高さ152㎝の笠付の念仏塔である。「南無阿弥陀仏講」とあり、烏山村10人の名があるが半分は下山姓である。

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念仏堂の奥には多数の石仏(後述)があり、墓所入口には二つの地蔵がある。右側は三界万霊の座像で「百万遍講中 烏山村」とある。造立は不明だが江戸時代初期だろう。百万遍というのは、多くの人が大きな数珠にとりかかり、念仏を唱えながら回す行事(百万遍の数珠繰り)。 正月と盆などに行っていた。

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左の涅槃像はもっと古いと言われている。江戸初期は間違いないだろう。年号がかすれてしまって読めないと昭和中期の資料にも書かれている。涅槃像と最初の念仏塔の間にはいくつもの石仏があるが、手前の左手から6体並ぶのが六地蔵である。文政10年(1827)の造立である。「武刕多摩郡烏山講中」とある。

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六地蔵の右(手前右から2番目)は馬頭観音でこれは造立年不詳である。手前の一番右端の大きなものはも馬頭観音で慶応2年(1866)の造立。烏山下宿とある。甲州街道烏山宿には上宿、中宿、下宿があった。後列の右端もまた馬頭観音で大正4年(1915)と新しい。その左となりの変わった形の石塔は、中段下段は台座だが、上部は地蔵のようだ。座像の可能性もある。造立は宝暦5年(1755)で烏山女中念仏講中とある。

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念仏堂の向かい側にも2基の石塔があるが、右側は墓石のようだ。左側はまったく読めないほど欠損している。それでもきれいな花を供えている方がいらっしゃるということは、昔からここにある野仏なのだろうか。

場所  世田谷区南烏山2丁目23-16

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