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2019年6月19日 (水)

田中橋跡の石仏(狛江市元和泉)

狛江市を多摩川に対して平行に北西から南東へ走っていた品川道(筏道)から南の登戸の渡しに向かう道があった。現在の松原通り(仙川から和泉多摩川への通り)がほぼそれに近い。現在も六郷桜通りとの交差点を田中橋という。この田中橋の下を流れていた水路は六郷用水である。六郷用水は慶長2年(1597)に徳川家康が多摩川下流低地の水田灌漑を目的に工事を命じたもので、慶長16年(1611)に完成した。喜多見の次太夫堀は六郷用水の別名である。

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田中橋交差点に斜めに合流する細街路がある。これが昔からの南北を繋ぐ古道である。三角形の敷地には稲荷神社がこじんまりと収まっている。その社の裏にいくつかの石仏が並んでいる。両脇の大きい石柱は田中橋の親柱である。この親柱には、昭和4年(1929)の竣工年が刻まれているので、江戸時代のものではない。昭和のものなのに江戸時代の他の石仏よりもはるかに欠損が多い。

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二つの親柱の間にあるのが庚申塔である。前面には、「武州多摩郡世田谷領和泉村八人講中」とある。造立年は宝暦13年(1763)である。舟型で青面金剛像の下に邪鬼と三猿が彫られている。塔の中央部分が折れた形跡があり、後年繋がれたのだろう。

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庚申塔の後ろにある墓石のような塔は廿三夜月待塔である。願主は「泉邑石井又市」とある。造立年は安永4年(1775)。日待塔や月待塔については、現在でも登山をしてご来光を拝んだり、初日の出を拝んだりするが、昔は特定の日に場所を決めて人々が集まり、夜もすがら忌み籠りをして日の出や月の出を待つ行事が広く行われていた。本来は満月の夜に行っていたものが、月は勢至菩薩の化身であるという信仰があり、特に23日目は勢至菩薩の縁日であることから、二十三夜待ちが盛んであった。

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参考に、狛江市の資料にあった田中橋の昔の写真を使わせていただいた。昭和39年(1964)のものである。東京オリンピックの頃、23区内は暗渠を埋めて臭い物に蓋をする土木突貫工事がお祭りのように進められたが、この辺りまで来るとまだまだのどかな風景だったようである。

場所  狛江市元和泉1丁目14-19

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