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2019年6月 2日 (日)

八幡山稲荷神社の庚申塔(世田谷区八幡山)

八幡神社の総本山は大分県の宇佐神宮、主祭神は応神天皇(第15代天皇:西暦500年頃)で、八幡宮(八幡神社)は一説によると全国に44,000社あるという。それらは大きく分けて、宇佐神宮(大分)、石清水八幡宮(京都)、鶴岡八幡宮(神奈川)から勧請されたものがあるが、あまりに多いのでそれぞれの由緒もさまざまである。

世田谷区の八幡山の八幡山八幡社はかつての瀧坂道に面している。現在は路地裏だが、かつては街道に面していた。八幡社の前で北に分かれる道があり、桜上水で甲州街道に出た。地形的には烏山川の右岸の小高い丘に建っている。八幡社の創建は不明だが、別当である環八の西側にある東覚院が鎌倉時代の開山なのでそれと同じ時代と思われる。明治期には八幡山村の鎮守となった。

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八幡山の地名の由来は、この八幡社に由来するというのが定説。神社の北東には烏山川が流れ、一方南西側にはその支流である金川が流れ、瀧坂道を西に進むと「坂下橋」で金川を渡ったと資料にあるが、橋の現地に行ってみると残されているのは「葭根橋」の欄干であった。調べてみたが、どちらが正しいのか分からない。ただ、古老の聞き取りでは皆、坂下橋と呼んでいたようである。

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八幡神社の裏手には屋根付きの場所に3基の庚申塔が並んでいる。保存状態はとてもいい。左側は板状駒型で青面金剛像、邪鬼、三猿の彫られた庚申塔。 造立年は寛保3年(1743)とある。中央も同様に板状駒型、青面金剛像、邪鬼、三猿の庚申塔で、造立は享保7年(1722)と3基の中では最も古い。

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右側も同じタイプ(板状駒型・青面金剛像、邪鬼、三猿)で宝暦7年(1757)ともっとも時代が新しい。これらの庚申塔が造られた時代、八幡山村は井伊家の御林となっていた。辺りはまだ開墾があまり進んでいない寒村だったようだ。ただ船橋村との交流は深く、船橋村の島田五兵衛という人が移住して開墾を進めたという記録もある。しかし台地地形だったので米作はできず、大部分が畑だった。八幡山という地名も、ここが小高い丘のような台地だったので、八幡社のある丘の意で八幡山となったのだろう。

場所   世田谷区八幡山1丁目12-30

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