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2019年6月14日 (金)

宝性寺門前の地蔵・庚申塔(世田谷区船橋)

宝性寺は真言宗波羅密山観光院宝性寺といい、川崎市小杉の末寺。開山は寛永年間(1624~1644)と伝わる。天保年間(1830~1844)より明治中頃まで荒廃して、西にある東覚寺が管理していた。明治19年(1886)に東覚寺が焼失した際に、宝性寺に関する史料も焼失し過去不詳になった。本尊は大日如来の木像。

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門前には、山門に向かって右側の植込みに地蔵立像が立っている。造立年は延宝4年(1676)と古いものである。資料によると、門前には夜泣地蔵という元禄年間の地蔵があり、子育地蔵として有名とあるが、この舟型光背型の地蔵立像はさらに古い延宝年間のものである。資料と異なるが、なぜそうなったのかは不明。

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門前にはもうひとつ、この地蔵立像の向かいに古い庚申塔がある。唐破風笠付角柱型の庚申塔で造立年は元禄16年(1703)である。正面には青面金剛像と三猿が彫られている。また側面左右には蓮華が彫られていて、存在感がある。この庚申塔はイボ庚申と呼ばれ、祈念するとイボが取れると信じられていた。

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いぼとりの石仏は各地に見かけるが、なぜ人々がそんなにイボを気にするのかが私には理解できない。しかし全国にはたくさんのいぼとり地蔵がある。疱瘡(天然痘)にご利益のある神もあるがそっちは当時の人知では治せなかったのだからわかる。民間信仰というものは不思議な面が多い。昔から日本人は神仏習合だけでなく道教も民間信仰もすべて吸収して自分たちの信仰を作り上げてきたクリエイティブな民族だった。庚申信仰も道教と仏教の合作に飲み食いの騒ぎを加えて定着した不思議な民間信仰であるから、奥が深い。

場所   世田谷区船橋4丁目39-32

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