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2019年6月 7日 (金)

上馬子育地蔵尊(世田谷区上馬)

環七の東側も西側同様住居表示は上馬。上馬は江戸時代の上馬引沢村に由来する地名である。三軒茶屋から数百m南を蛇崩川が流れており、その流域まで上馬引沢村であった。現在の環七の道筋につかず離れない位置を南北に走っていたのが鎌倉街道のひとつだと言われる。村道がその鎌倉街道に出合う辻に地蔵と道祖神があったのだろう。

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大きめの堂宇の中には舟形光背型の地蔵立像があり、両脇には後に作られたであろう小さな地蔵が並んでいる。地蔵立像の造立年などは分からない。きれいにされているがかなり欠損があり文字などがあるのかどうかわからないのである。見た感じでは江戸時代後期くらいのような印象を受けた。

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世田谷区の調査ではお堂の前にある道祖神の石柱の方の情報が残っていた。それでも造立年は不明である。お堂の表にある説明板には、鎌倉道と大山道が合わさる処、舟型の光背、右手に錫杖左手に宝珠の地蔵尊像と道祖神がある。江戸の頃に疫病が、また大正11年には疫痢が流行し、多くの人や子供が病に苦しんだ。村の人は心配のあまりお地蔵様に祈願を重ねた。幸いにもそのご利益が現れ皆助かった。それからはお地蔵様を子育地蔵尊と名を改めて祀った、とある。

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道祖神は知らなければ標識の石と間違われそうである。世田谷区の資料によると、土に埋まっている部分に道標が書かれているようだ。正面が、右 池上 品川 道、右面が、左 ほりのうち道、左面には、当村と彫られている。こちらも江戸時代後期のものだろうか。

場所  世田谷区上馬2丁目7-1

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