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2019年6月11日 (火)

勝国寺門前の地蔵(世田谷区世田谷)

勝国寺も烏山川の崖線の際に建つ寺院である。天文23年(1554)に世田谷城主吉良家によって開山された。世田谷城の東北方向、裏鬼門にあたるこの地に鬼門除けとして薬師如来を祀って建立された。江戸時代は中野宝仙寺の末寺だが、この勝国寺も末寺を持っていた。本寺(本山)と末寺というのは主に江戸期に寺社奉行などが寺を管理する為に作り上げた制度で、多くの末寺を持つ寺は本寺、少しの末寺を持つ寺は小本寺と呼ばれる。勝国寺もいくつかの寺を末寺にしていたので小本寺であった。

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室町時代から戦国時代にかけて区役所あたりからこの勝国寺にかけては砦と同じ役割を果たしていたのだろう。吉良家が衰退し、徳川の時代になっても勝国寺は優遇されていた。歴代将軍から御朱印を与えらえたようだ。御朱印は現代も派手に流行しているが、江戸時代は寺はある種行楽地のようなものだった。御朱印も今の記念スタンプと同じようなものである。ただし将軍から与えられた御朱印というのはちょっと違うようだ。

江戸の切絵図(古地図)では神社や寺院はその敷地の範囲を赤く塗られている。幕府より寺社領として認められた場合に朱印を押した朱印状が与えられた。また江戸の町奉行の管理範囲を墨引というのに対して、寺社奉行の管轄範囲を朱引という。朱は寺社の色だったのである。その領内の租税は免除され、収入は寺のものになった。現代の宗教関連への非課税と似ている。

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山門脇に古い地蔵菩薩立像がある。村人たちが建立したものである。造立年は享保17年(1732)。堂宇もしっかりしたものが造られている。今もなお地元の人々に親しまれているお地蔵様である。

場所  世田谷区世田谷4丁目27-4

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