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2019年6月 2日 (日)

経堂5丁目の石橋供養塔(世田谷区経堂)

世田谷区経堂は江戸時代幕府直轄の経堂在家村という村だった。中心になったのは福昌寺という寺院で、現在もビル数階建の高さの本堂がそびえており、小田急線からもよく見える。正式名を経堂山福昌寺といい、江戸時代の初めに創建された寺院である。その寺院の北には北沢川が南には烏山川が流れており、しばしば周辺は洪水に見舞われた。

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経堂5丁目の路地裏に石橋供養塔があるが、おそらくこれは烏山川に架かる橋の近くにあったものではないだろうか。江戸時代の橋はほとんどが木橋だったが、この近くの新道橋と大橋は御影石の石造りの橋だったと伝えられる。供養塔のある場所からしておそらくは新道橋の建設に関わって建てられた可能性が高い。

ところがこの石橋供養塔、2018年になって周りの土地が分筆されて再開発が始まった。上の写真は再開発以前の姿である。この供養塔の周りもすべて囲いの中になってしまい、どうなる事かと気を揉んだが、今年になって行ってみると少しだけ場所を変えて新たな住まいが確保されていた。ありがたいことである。

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ゴミ箱というのはちょっと気になるが立派なコンクリートの屋根もついて、横にポツンとあった小さな石仏も台座を頂いて並んでいた。小さい石仏については詳細不明だが、石橋供養塔は寛政4年(1759)の造立、「両石橋供養塔」とあるので、もしかしたら新道橋と大橋の両方の供養塔なのかもしれない。

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供養塔の正面には、「東 江戸道 南 二子道」とある。江戸時代の道は経堂の集落から、新道橋を渡り、この石塔のあたりを通る。南は用賀を経て二子玉川に至る。願主は福昌寺、施主は経堂在家村の念仏講中の人々だけでなく舟橋村の村人の名前も入っている。多くの人々の願いで頑丈な石橋が造られ、人々に踏みつけられる石橋への感謝の念、そして通行する人々の安全を願う江戸時代の人々が目に浮かぶ。

場所  世田谷区経堂5丁目25-9

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