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2019年6月 4日 (火)

密蔵院と境内の諸尊(世田谷区桜上水)

密蔵院は幽谿山密蔵院観音寺が正式な寺名。縁起は、天正年間(1573~1592)下野国都賀郡水代(現在の栃木県栃木市)の城主だった榎本氏が城を退き、その子氏重と共にこの地にやってきた。当時の地頭であった鈴木家と懇意になり、天正8年(1580)に定住。その後都賀郡から来た僧頼慶法師がこの地にやってきて地頭の鈴木重貞が帰依し法師は当地の観音堂に住むようになり、慶長3年(1598)この地に観音寺が開山した。

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江戸時代には上北沢の勝利八幡神社の別当寺となり、当地にあった安楽寺(縁起元年(1744)開山)を明治8年(1875)に合併した。写真の本堂は延喜元年(1744)の建立である。境内には多数の石仏が保存されている。それらを見て回るだけでもあっという間に時間が過ぎてしまう。また本堂右手には水琴窟があり、静けさを味わうことが出来る。

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境内には古い六地蔵がある。仏教では、生前の悪事によって人は死後に地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天と6つの境遇を輪廻すると信じられている。地蔵菩薩はそれぞれの境遇の衆生の苦しみを救う存在である。地獄道は檀陀(ダンダ)、畜生道は法印、餓鬼道は宝珠、修羅道は持地(ジジ)、人間道は除蓋障(ジョガイショウ)、天道は日光、というそれぞれの菩薩が担当する。この思想が各地に六地蔵を造立させた。

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密蔵院の六地蔵の年代は西暦1670年~1711年の造立。最左は寛文10年(1670)、二番目は宝永8年(1711)、三番目は宝永3年(1706)、四番目は元禄元年(1688)、右から二番目が正徳元年(1711)、最右は元禄5年(1692)である。宝永年間は8年で終わり正徳年間になっているので西暦は同じである。右から二番目を除いて施主は同じなので、経済的な理由か作成時間の理由で41年もかかったのかもしれない。

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多数ある石仏の中から、7基並んでいる享保3年(1718)に造立されたものを紹介。施主はすべて鈴木左内とあり、地頭鈴木家の施し。左から順番に、千手観音立像、聖観音立像、馬頭観音立像、十一面観音立像、如意輪観音立像、准胝(ジュンチ)観音立像、勢至観音立像の7基。同じ日の日付が彫ってある。

場所   世田谷区桜上水2丁目24-6

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