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2019年6月24日 (月)

安穏寺境内の石仏(世田谷区上祖師谷)

安穏寺は正式名を舜栄山行王院安穏寺という。瀧坂道に面しているので古そうだが実は元禄年間(1688~1703)の開山と伝えられ、比較的浅い歴史である。しかも明治初期には廃仏毀釈もあり寺は荒廃して、明治18年の台風では倒壊してしまった。それから長い年月を経て、昭和に入る頃から復興、檀家も増えたという。

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瀧坂道からの安穏寺の参道は真っ直ぐでいい景色である。瀧坂道は長年の交通不便から寺の裏側に新たな道路の建設が進んでおり、そうなれば門前の安穏寺坂も散策可能な散歩道になりそうである。現在はすれ違いぎりぎりの車におびえながら僅かなスペースを歩くしかない状況である。

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山門は武家屋敷風の風格あるもの。舜英山の扁額か掛かる。この山門と境内の風情はせたがや百景の一つに指定されている。なお別説で安穏寺の開山を寛永年間(1624~1644)というものがあるが、おそらく元禄が正しいだろう。

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山門を回って右奥が墓所の入口。そこには古い六地蔵が並んでいる。いずれも世田谷領上祖師ヶ谷村の村民による造立。左から、正徳6年(1716)、正徳2年(1712)、正徳5年(1715)、右半分は左から、享保2年(1717)、正徳3年(1713)、享保元年(1716)で、右から2番目を除いてはすべて上祖師谷村の女中念仏講が願主である。(残りの1基は個人の願主)

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墓所と本堂の間に3基の石仏石塔がならぶ。真ん中についてはよく分からないが、右の地蔵の台座には「三界万霊 廻国六十六部供養塔」とあり、造立年は正徳元年(1711)、左側も供養塔で、大師編照金剛とあるが、左面に道標も彫られている。「従是 上高井戸宿医王寺迄十八町、下祖師ヶ谷観音堂迄六町廿間」とある。裏面には「武刕多摩郡世田ヶ谷領上祖子ヶ谷村」と彫られ、右面には宝暦8年(1758)の造立とある。これらの石仏からもおそらくは元禄の開山であろう。

場所  世田谷区上祖師谷2丁目3-6

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