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2019年6月16日 (日)

慶岸寺門前の庚申塔(狛江市岩戸北)

狛江市は東京のベッドタウンとして急速に発展した。高度経済成長期前の人口は1949年には1万人ほど、1952年に村から町になった。その後、東京オリンピックの1964年には3万人を超え、5年後の1969年には5万人を超えるという爆発的な増加を経ている。現在の人口は約8万人まで来ている。しかし駅を離れるとかつての農村風景が至る所に残る環境がいい。

その狛江市を東西に走る世田谷通りは昔からの街道(津久井道あるいは登戸道)。また江戸の町に木材を供給した青梅地方の筏師が大田区六郷に木材を荷揚げした後、歩いて青梅に戻るための筏道(品川道)という多摩川沿いの街道が交差していた。その街道の辻の傍にある寺が慶岸寺である。

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慶岸寺は南にある慶元寺の末寺で、村民の川合氏が開基となり、正保2年(1645)に僧然度が開山したという浄土宗の寺院。岩戸の住人川合氏は財産の半分を供出した。本寺の慶元寺は徳川以前に辺りを治めていた江戸氏(世田谷城主吉良氏の家臣)が文治2年(1186)に現在の皇居あたりに作った寺院だったが、江戸氏の領地が現在の喜多見に移るとともに移転した。江戸氏は徳川の町である江戸に配慮して、喜多見氏と改名したと言われる。(但しそれ以前に木田見氏がこの地に居たが、どういう関係かはわからない)

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その末寺慶岸寺の門前にかなり風化の進んだ庚申塔が立っている。文字はほとんど読めない。従って造立年も不明。板状駒型で青面金剛像と三猿が描かれていることは分かる程度。雨ざらしというのもあるだろうけれど、材質は安山岩だろう。稀に砂岩や花崗岩の庚申塔もあるが、風化が早いので適さない。安山岩でもやはり300年~400年が限界なのだろうか。

場所   狛江市岩戸北4丁目15-8

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