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2019年6月23日 (日)

安隠寺近くの石仏群(世田谷区上祖師谷)

瀧坂道は渋谷から仙川に及ぶ古い街道。経堂駅付近から西に進み、環八脇の千歳清掃工場裏から千歳台交差点を通り、榎交差点からは丘を下り宮下橋で仙川を渡る。安穏寺墓地脇から下りになるが、ここは道路拡幅が出来ないまま現在に至り、乗用車ですらすれ違いにくい道幅でかつ路線バスも走る難所になっている。電柱にはたくさんの擦り傷があるが、なぜかここで警察を呼んだ人を見たことがない。皆、当て逃げならぬ、当たり逃げしているのだろうか。

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坂を下った安穏寺山門の先に広いスペースがあり、地蔵堂の前に石仏が5基並んでいる。左の3基は馬頭観音で、右の2基が庚申塔である。この場所は記憶の限り30年以上変わっていない。名前があってもよさそうなものだが無名である。仕方なく安穏寺近くの石仏群とした。ちなみにこの坂道は安穏寺坂という。

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地蔵堂は施錠されているが、中に祀られているのは岩船地蔵。この地蔵の所有は安穏寺らしい。岩船地蔵というだけに岩のような舟に乗っている。その下に木の舟があるので、舟on舟になっているのがちょっと違和感があった。海沿いの街にたまに岩船地蔵があるようだが、こんな内陸になぜこの地蔵がという疑問が湧く。岩船地蔵は江戸時代中期に起こった集団的な宗教現象を機に各地に設置されたという。当時の新興宗教だったのだろうか。

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さて左の3基の馬頭観音だが、一番右の石塔は摩滅風化が激しくて何も読み取れない。これが一番古そうなのだが致し方ない。真ん中のものは、前面に「嘉永五年 馬頭〇〇」とあることから、造立年は嘉永5年(1852)だとわかる。馬頭観音としては比較的古い方である。そして一番新しい左端のものは昭和26年(1951)の馬頭観音。 私より少しばかり古い。

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右の2基の庚申塔のうち左側のものは高さが107㎝あり大型である。板状駒型で、正面には青面金剛像と三猿がある。その右側に「武州荏原郡祖子ヶ谷村」とあるが造立年は欠損した左下部にあったのだろうか不詳である。しかし「祖師谷村」とあることから、祖師谷村が上と下に分かれた元禄8年(1695)の検地以前ではないかと考えらえる。

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一番右にある庚申塔については年代もわかっている。造立年は宝永6年(1709)である。青面金剛像に三猿が描かれ、多摩郡世田谷領とある。祖師谷村が上祖師谷と下祖師谷に分けられた元禄8年(1695)以降、幕末まで上祖師谷村、下祖師谷村は幕府の天領となったので、造立年と村名が合致する。そんな推理を入れながら石仏を見るのもまた面白いものである。

場所  世田谷区上祖師谷2丁目3-7

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