« 中町金剛寺の石仏(世田谷区中町) | トップページ | 石神井町の子育地蔵と庚申塔(練馬区石神井町) »

2019年7月24日 (水)

中町金剛寺の庚申塔他(世田谷区中町)

金剛寺の境内の石仏の続編。野良田村を築いたのは世田谷を統治していた吉良氏の家臣で弦巻に居た粕谷与一右衛門が、北条氏が秀吉に滅亡させられるとその家臣の吉良家も没落し、結局この地(野良田村)に土着して農民となり開墾したのが始まりと言われる。その菩提寺が金剛寺である。

Cimg2572

境内の本堂に向かって右手に大型の庚申塔がある。板状駒型で青面金剛像と三猿が彫られたもの。 造立年は貞享元年(1684)で、願主名は野良田村の粕谷氏(糟谷氏)とある。前述の粕谷家の子孫であろう。

Cimg2573

近くには小さな駒型の文字塔がある。これも庚申塔で、同様に粕谷氏が願主になっている。造立年は享保10年(1725)。「庚申供養仏」と彫られている。

Cimg2577

またよみがえり地蔵の脇に三基の石塔がある。中央は明和2年(1765)の不動明王塔、左は宝暦4年(1754)の供養塔、右は宝暦10年(1760)の供養塔である。

「ふるさと世田谷を語る」の野良田村の資料に粕谷氏の子孫らしき方の話が載っている。名家だけに大正から昭和の初期にかけては、ドサ廻りの漫才師が家にきて村人を集めて芸を披露したという。また、その方の父上(明治16年生)は金剛寺の本堂の前を手引き荷車で通っているその時に関東大震災が襲い、目の前で本堂が倒壊するのを見て、あまりに恐怖に無我夢中で帰宅したという。奈良田は地盤はしっかりした地域だが、村の家々はほとんど大丈夫だったのに金剛寺だけが倒壊したのはシロアリにでも食われていたのだろうか。

場所   世田谷区中町2丁目20-11

|

« 中町金剛寺の石仏(世田谷区中町) | トップページ | 石神井町の子育地蔵と庚申塔(練馬区石神井町) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 中町金剛寺の石仏(世田谷区中町) | トップページ | 石神井町の子育地蔵と庚申塔(練馬区石神井町) »