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2019年7月27日 (土)

殿塚と姫塚(練馬区石神井台)

石神井公園の西北側、あまり人の多くない場所に二つの塚がある。殿塚と姫塚である。かつて三宝寺池の南側には石神井城とい城があった。室町時代後期から戦国時代にかけての事である。当時は城と言っても天守閣や櫓のようなものではなく、いわゆる館の周りに防御のための土塁や掘がめぐらされている程度のものである。当時この城に居たのは豊嶋氏。東京の北西部を昔は豊嶋郡と呼んだが、これは豊嶋氏の地の名残りかどうかは知らない。石神井城は戦国時代の文明9年(1477)に太田道灌に攻め落とされて無くなったが、今も僅かに空堀と土塁を残している。

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イヌシデの樹の傍に石碑が立っている。殿塚である。太田道灌に石神井城を攻め落とされたとき、城主豊嶋太郎泰経は黄金の鞍をつけた白馬に乗り、三宝寺池に沈んだという。その言い伝えを元に、演者が殿の徳を偲んで築いたと言われるのがこの殿塚である。「古墳 殿塚 石神井城主従五位上左衛門尉豊嶋太郎泰経之塚 文明九年十月六日落城討死 後裔 小谷一郎圀次建之」と彫られている。

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殿塚から30mほど西の(たぶん)アカガシの樹の傍には姫塚がある。落城の時、同じく三宝寺池に身を投げた二女照姫を供養している。こちらの石柱には「古墳 姫塚 石神井城主豊嶋太郎泰経二女照子姫之塚 文明九年十月六日落城之砌城内三宝寺池入水落命 縁之者 小谷一郎圀次建之」と彫られている。どちらも造立年は不明である。

ただしこの落城悲話は明治時代に作り上げられた創作話という説もある。

場所  練馬区石神井台1丁目26-1

 

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