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2019年7月23日 (火)

中町金剛寺の石仏(世田谷区中町)

上野毛駅の東側一帯が世田谷区中町、南は環状八号線、北は玉川通り(国道246号)よりも少し南、全体的には南北に長い住居地域である。このエリアは江戸時代の野良田村で、西側が上野毛村、東側が深沢村・等々力村になる。金剛寺は東陽山薬王院金剛寺という真言宗の古刹。最初の開山は弘安7年(1284)と古い。聖空上人が薬師如来を勧請し野良田の北向薬師として信仰を集めた。江戸時代が始まる頃、改めて金剛寺として創建された。

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山門前には金剛寺の石碑と共に野良田村と彫られた石碑も建っている。境内に入ると、右側には現在も北向薬師が祀られている。左側には8体の地蔵と不動明王などが祀られていて、それらの不揃いさが時代の奥行を感じさせる。

左から、まずは三鈷を持った僧の座像。土台に文政5年(1822)と彫られている。その右の小さな地蔵は詳細不明。

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左から三番目の白っぽい丸彫の地蔵立像は新しいもののようだ。四番目の黒っぽい地蔵立像は宝暦6年(1756)の年号が刻まれている。その隣、右から4番目はその少し後、宝暦12年(1762)の造立で武州荏原郡野良田村の銘がある。そして右から三番目の一番背の高い地蔵は最も古い寛保2年(1742)の造立。武刕荏原郡世田谷領野良田村男女講中の銘がある。残る右の2体も古いが年代が読み取れなかった。

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山門を入った脇にもいくつかの古い石仏があり、その中でよみがえり地蔵という地蔵の前で足が止まった。読み取ると造立は天明元年(1781)で、武州荏原郡世田谷領野良田村とあり、光明真言五十五万四百遍と書かれているので、この地でも百万遍が行われていたのだろうか。

関東大震災で金剛寺は倒壊した。しかし翌年には藁葺の本堂が復興、現在の本堂は昭和35年に再建されたものである。

場所   世田谷区中町2丁目20-11

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