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2019年7月12日 (金)

深沢不動堂前の石仏(世田谷区深沢)

駒沢通りと駒沢公園通りの交差点は「深沢不動」という名前。この北西側の角にあるのが、かつては隣接する医王寺の境内仏堂であった深沢不動堂である。現在の正式名は不動堂ではなく深沢不動教会というらしい。明治時代に入って、深沢村でも成田山信仰が広まり、医王寺に不動明王を祀ったお堂が出来た。戦後に医王寺から独立したが、今は再び医王寺との関係を深くしているという。

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不動堂の狛犬については特に記述しない。その北側に地蔵堂、狛犬と地蔵堂の間に地蔵座像と庚申塔がある。この深沢不動の交差点だが、江戸時代から村の中心部であった。不動堂の北隣には火の見櫓があって、明治になって江戸道の東側に新しい道が通った。それが駒沢公園通りである。

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右手の地蔵堂の中をのぞくと小ぶりな地蔵立像が一基ぽつんと立っていた。年代も銘も不明である。明治以前からここにあったという地蔵はこれではなく外にある地蔵座像の方であるから余計に不可思議である。

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地蔵堂の隣にあるのが昔から「だんご地蔵」と呼ばれてきた丸彫の地蔵座像である。造立は宝暦13年(1763)、土台が道標になっている。右面には江戸みち、正面はさがみ海道、左面はせたかや道とある。

この地蔵がだんご地蔵と呼ばれたのには逸話がある。昔、子供たちはこの境内でよく遊んでいたが、当時の深沢村は貧しくて、お地蔵さまには何のお供え物もなかった。そこで子供たちは草を石で叩いてお団子に似せた丸い塊を造り、お地蔵さまに供え、折に触れて願い事を託してお祈りをしていたという。その後のオチはないのだが、そういう子供たちの習慣から「だんご地蔵」と呼ばれるようになったと伝えられる。

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だんご地蔵の後ろの塀際にひっそりと立っているのが庚申塔。文政3年(1820)の造立。駒型で台座部分に道標がある。図柄は青面金剛像に邪鬼と三猿というオーソドックスなもの。道標は、右ほりのうち道、左あわしま道と彫られている。また片山庚申講中の銘がある。

江戸時代中期の深沢村は秋山の森周辺の深沢6丁目の東半分を三岳、西半分を稲荷丸、深沢不動交差点南西を三島、日体大付近を西山と呼んでいた。このうち稲荷丸と御嶽を合わせた地域(現在のほぼ深沢6丁目)を片山とまとめて呼んだという。その片山集落の念仏講が片山庚申講で最近まで続いていたというから今もあるのかもしれない。

ちなみに現在の駒澤大学キャンパスは明治時代は明治天皇の兎狩りの場所で松山とクヌギ山という二つの小山があったそうである。この山の木で村人は炭を作っていたというが、それこそが100余年前の深沢の風景であろう。

場所  世田谷区深沢6丁目1-13

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