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2019年7月 8日 (月)

代田橋の北向子育地蔵尊(世田谷区大原)

京王線代田橋駅は各駅停車のみ止まる駅。しかし代田には地名の由来である「でいたらぼっち」の伝説が残されている。

ある冷夏の年、関東から見える遠くの富士、筑波、浅間、日光連山が良く見える晴天の日、男体山と浅間山の頂上に棹をかけて大きな布で北風を防いでいるのを村人たちが見た。その夜の事、巨人を恐れて家の戸を固く締めた代田の丘に、ドシンドシンと大きな足音が響いた。隙間から覗いてみると、巨人が荒れ地をせっせと耕しているではないか。一夜明けると、そこには池、田んぼができ、巨人の贈り物だと村人たちはたいそう驚いた。翌日、巨人は筑波山に腰を掛け、長いキセルに浅間山の煙で火をつけて煙草をうまそうに吸っていたという。

それが地名の由来になっているというのはいささか荒唐無稽だが面白い。

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代田橋駅の西側に大原稲荷神社がある。線路わきに参道があるが、北側にも参道があり、その入り口に地蔵堂がある。現在は北向き子育地蔵尊と呼ばれるが、元は代田村の厄除四地蔵の一つで北側からの魔物の侵入を防いでいた。

代田村には東西南北にそれぞれ厄除地蔵があったが、現存するのは東向の淡島地蔵とこの北向地蔵だけ。その淡島地蔵も戦災で破壊されてしまい、後に角柱の地蔵塔が建てられた(南と西は世田谷代田駅南側の圓乗院に移されて保存されている)。しかし実はこの北向地蔵も京王線の施設工事の折には場所を移され打ち捨てられていたが、村人がそれをあまりに不憫に思い、現在の地に祀ったという。

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造立は代田村の記録では四地蔵とも承応2年(1653)と相当古い。この厄除四地蔵にも言い伝えがある。代田七人衆と呼ばれた侍たちがこの地に定着して半世紀が経った頃、その二代目、三代目が開墾を担うようになり、村の人口も増えていった。そこで村の平穏と外部からの疫病の侵入を防ごうとこの四地蔵が造られたという。当時の名主、秋本重右衛門が願主だった。

南向地蔵は瀧坂道と堀之内道の辻(現在の若林小学校の北側)、西向地蔵はその少し西北の代田村と赤堤村の境である栗原道と呼ばれた道の路傍にあったという。住宅街の一角に公園があり、栗原稲荷神社跡を示す狐塚之霊碑が立っている辺りだろう。現在の小田急線、井の頭線、京王線の逆Zエリアがかつての代田村。周辺も含めて野仏が多い地域である。

場所  世田谷区大原2丁目27-4

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