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2019年7月 4日 (木)

子育明林地蔵尊(世田谷区松原)

境の辻である徳明地蔵尊から東へ100mほど進む。広い道は作りかけの計画道路なので斜め北に分岐する旧道を歩く。この道は江戸時代からの古道で東松原駅を通り、羽根木の子育地蔵を経て笹塚まで続いていた。江戸時代から大正時代まで羽根木通りと呼ばれ村の幹線道路だった道である。徳明地蔵と明林地蔵そして松原五丁目の細街路奥にある地蔵で三角形を形成しているのは偶然だろうか。

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明林地蔵の脇の丁字路から北西に向かう道もまた、現在は路地だが江戸時代からある古い道である。この羽根木通の南東側は昔、沢があって田んぼが広がっていた。その沢を渡って羽根木に向かう手前にこの地蔵が位置している。昔の小字名は赤羽根。

沢はこの先でY字型になっていて、羽根木の集落はYの上、赤羽根集落はYの左側、そしてYの右側は飛羽根木という小字名だった。羽根木の本集落は宇田川家を中心に栄えていた。この羽根木通は昭和初期まで二間道路と呼ばれる道幅3.6mの道だった。古老は南側にどぶ川が流れていたという。それがY字の右側の沢であろう。昭和中期まで子供が落ちて流されるような事故もあったらしい。

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明林地蔵はコンクリートの頑強な堂宇に守られているが、ちょっと顔が不気味である。造立年などは不詳。壁面に左官さんが彫ったような文字で昭和19年に御堂を再建したことが記されている。沢が流れ、街道が通り、低地には水田、丘陵地には畑が広がる江戸時代から明治時代にかけての松原のこの辺りの地形だが、そういう変化と起伏の多い場所だからこそ、辻(分岐点)ができ、地蔵が多く作られたいきさつがあったのではないだろうか。

場所   世田谷区松原5丁目9-21

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