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2019年7月14日 (日)

中村庚申様(世田谷区深沢)

現在の深沢4丁目から5丁目にかけては明治大正時代は中村という字名だった。元々北から辻、八幡という二つの集落が字中村としてまとめられたのは明治になってから。深沢村の地名の由来は、呑川の源流ということで深い沢が多いの意であったと思われるが、諸説あるようだ。この辺りの呑川は細いながらもとても澄んだ流れで、川の水が飲めるほどという意味で呑川とついた。明治の末頃にはこの中村集落には17軒ほどしか民家がなかったという。しかし玉川電気鉄道(玉電)の開通で明治の末からは大きく変貌していったのは言うまでもない。

Cimg2365

裏道の路地の一角に突然鳥居が現れる。民家の門が鳥居…という感じである。実はこれは中村八幡というちゃんとした神社。明治の初期には一旦深沢神社に合祀されたが、昭和13年にこの地に分離独立した。その中村八幡の脇に庚申塔が並んでいる。

Cimg2366

台座は3基分あるのだが、一番右はほどんど形を残していない。左側の庚申塔は駒型、青面金剛像に邪鬼のみ。造立年は文化13年(1816)とある。真ん中は同じく駒型で青面金剛像+邪鬼+三猿が描かれている。造立年のところは欠損していてわからない。年代的には変わらないだろう。左の庚申塔には、当所懇親講中の銘がある。戦前は庚申講と日待ち講が盛んだったと聞くが、戦前戦後あたりでほとんど消滅してしまったらしい。ただ片山(秋山の森周辺)の日待ち講は昭和40年頃まで続いたという。

場所  世田谷区深沢4丁目31-18

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