« 謎のとげぬき地蔵(世田谷区大原) | トップページ | 代田橋の北向子育地蔵尊(世田谷区大原) »

2019年7月 7日 (日)

向岸地蔵尊(世田谷区大原)

向岸地蔵尊は玉川上水の暗渠緑道の上に在る。玉川上水を渡る何かに由来して向こう岸かと思ったが全く違った。向岸というのは人名だったのである。この地蔵尊、堂宇はないが公園の藤棚のような柵に囲まれている珍しいものである。藤棚のフレームに地蔵の由来が書かれた板がある。書かれたのは平成4年だが、書いた主が「二代目講元」とあった。古い謂れのある地蔵の講元が二代目というのは少なすぎる。しかし平成になっても講が続いていることにうれしさを感じた。

Dscn0387

手前の角柱に地蔵の造立が彫られている。享保元年(1716)に百万遍講中によって建てられたとある。百万遍とは長い数珠をみんなで囲むように輪になって持ち、念仏を唱える講中である。地蔵の土台には、「十億四千八百四十八万遍」と彫られているが、それだけくりかえし百万遍が行われていたことの証だろうか。

Dscn0389

手前の石柱はかなりぞんざいに扱われているようだ。頂部はコンクリートで補修されたような感じ。その後ろ(左奥)には馬頭観音があるが造立年は読み取れない。どこからか移してきたものだろう。頭上の説明板には概ね次のようなことが書かれている。

『今から200年以上も前の事(これが書かれたのは平成4年)、荏原郡北の里(現在の世田谷区大原)に生まれつき身体が曲がっている向岸という独り身の人がおり、自身の境遇を悲しんでいた。ある晩のこと、地蔵様が現れ欲しいものを出せるといい、今後世のため日夜念仏を唱えれば救われると説いた。お地蔵様の教えに従い、向岸は念仏を昼も夜も唱え続け、それを聞き知った人々が集まるようになり二百を超える大きな講中となった。後に向岸は悟りを開いて大往生を成し遂げたという。地蔵尊は、生前の徳を偲んで講中の人が享保元年(1716)の秋に建立したものである。』

Dscn0398

馬頭観音の反対側、向かって右側には舟型の地蔵立像が二つ並ぶ。大きい方は宝永7年(1710)の造立、小さい方は正徳元年(1711)の造立である。これらも地蔵とは特に関係はなさそうである。

Dscn0399

玉川上水はこの少し上流で一部開渠になる。そこに架かる橋はゆずり橋というアーチ式のレンガ橋。江戸時代、多摩川上流の水を江戸の町に飲料水(上水)として引くために掘られた玉川上水。玉川兄弟が工事を指揮したと伝えられる。豊かな玉川上水からは多くの支流の上水に分水された。時代と共に玉川上水はどんどん暗渠化されたが、このあたりだけは開渠として残されている。

Dscn0409

この橋は以前は幅が狭く、ゆずりあって渡っていたので、地域の人々から「ゆずり橋」という名前を付けられた。デザイン的にも素晴らしい橋である。モチーフは地元の子供達が描いた橋の絵だったそうである。歩行者専用の橋で、車止めがあるが、この中にはタイムカブセルが埋められているという。橋が付け替えられたのは平成3年(1991)だから、当時小学校1年生だった子はもう30代半ば、タイムカプセルは開けられたのだろうか?

場所  世田谷区大原2丁目19-1

|

« 謎のとげぬき地蔵(世田谷区大原) | トップページ | 代田橋の北向子育地蔵尊(世田谷区大原) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 謎のとげぬき地蔵(世田谷区大原) | トップページ | 代田橋の北向子育地蔵尊(世田谷区大原) »