松原五丁目の地蔵(世田谷区松原)
この路地を歩く人はほとんどいない。それでもこの地蔵の脇をクランクで折れ曲がって東松原駅の方に抜ける道は江戸時代からの道である。現在は直進するように地蔵脇を抜けて徳明地蔵の道に出る路地は昔は沢筋だった。おそらくこの沢を渡るために道がクランクしたのではないだろうか。そんな道にある地蔵尊だからか、資料は全くない。
地蔵尊のためのスペースは意外に広い。向きは南東向き。 地蔵尊自体の傷みもほとんどないので、比較的新しい時代のものではないかと思われる。しかし、再建されて新しくなることもあるので、この地蔵の由来はさらに調べてみたい。
松原五、六丁目地蔵保存会なるものがあるようで、そこで聞けば何か分かりそうな気がする。この地蔵から南東へ100mほど進むと徳明地蔵の近くに出る。松原地区(旧松原村)にはたくさんの地蔵や石仏がある。この辺りは松原村と赤堤村の村境だったエリア。江戸時代の人々は村境近くに多くの石仏を立てて、悪いものが侵入するのを防ごうとしたのである。
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コメント
現在、小祠だけ残っています。
お地蔵さまもありません。
投稿: TATSU | 2022年3月19日 (土) 15時00分
TATSUさん
情報をありがとうございます。そうでしたか。梅ヶ丘駅周辺では石仏の数の割に宅地開発が盛んなので致し方ないかもしれませんが、滝坂道の馬頭観音が消えてしまったりしているので、近所の寺社を探してみたいと思います。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2022年3月19日 (土) 22時31分
こちらの地蔵尊について、該当番地をあれこれ調べてみましたが、結論から言えば現存しています。
本ブログおよびGoogleマップ等では、所在地が「松原5-10-11」と記載されていますが、正しくはその西隣の「松原5-11-25」の北東に堂宇があったのが、「シャーメゾン東松原」という集合住宅新築に伴い、同住宅の北西側に堂宇を縮小して遷座されたようです。
2023年8月に同地へ赴き、小さな黒い箱状の堂宇の中に、やはり南東を向いて地蔵尊が収まっているのを視認しました。ブログの写真と比較して同一のものと確認しましたが、お堂っぽくない箱を北東側から覗き込まないと判らないほど目立ちません。
投稿: 神崎 悟 | 2024年8月24日 (土) 01時51分
神崎 悟さん
ありがとうございます。いったん無くなった話はお聞きしていたのですが、まだ訪問しておりませんでした。撤去ではなく移設ということですから喜ばしい事かと思います。路傍の石仏がいつまでもあられるような社会のゆとりが感じられますね。今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2024年8月24日 (土) 21時36分