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2019年7月19日 (金)

浄真寺山門脇の庚申塔(世田谷区奥沢)

九品仏浄真寺の総門をくぐると、左に閻魔堂(再建中)、右に多数の石仏群があり、その先で西に参道が折れ曲がる。すると眼前に巨大な山門が現れ、左右一対の仁王が門を守っている。この仁王門の建立は寛政5年(1793)で東京都内でこれほどの仁王門を持つ寺はそう多くない。加えて浄真寺は京都の古刹に勝るとも劣らない雰囲気を持っている。

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その仁王門(山門)の北側(右手)に4基の庚申塔が並んでいる。どれも保存状態の素晴らしいもの。江戸時代の奥沢村にはたくさんの地蔵や庚申塔があったという。大部分は昭和初期の大規模な耕地整理で無くなってしまったようだが、道端や辻にあったものは近隣の寺社に移設されたという。浄真寺に移設されたものが最も多いと言われる。

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一番左の庚申塔は、青面金剛像に三猿、元禄3年(1690)の造立である。板状駒型のこの庚申塔は以前は等々力6丁目24-18にあったもので、民家の建替えにより浄真寺に移された。この庚申塔だけでなく、左から3基目までが同じ場所にあったものである。

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左から二番目の庚申塔は青面金剛、邪鬼、三猿がきれいに描かれている板状駒型。造立は享保4年(1719)、等々力村の銘があり、8人の願主の名前がある。高さは112㎝あるが、この庚申塔だけでなく4基ともが高さ1mを超えている大きなものだ。

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左から3番目は、同じく板状駒型で青面金剛と三猿、造立年は元禄17年(1704)である。ここの庚申塔は1690年から1721年という造立で、実は山門よりも相当古い。後からここに設置されたにもかかわらず、寺域の中では一級の場所を与えられているのはその時代の古さからであろうか。

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一番右は違う場所から移されたものらしい。世田谷区の庚申塔の資料にも載っていなかった。 造立年は享保6年(1721)とこの中では最も新しい。新しいと言っても都内の庚申塔の中ではかなり古い部類に入る。青面金剛、邪鬼、三猿が彫られており、「奉青面金剛講中…奥沢村」とある。「武州荏原郡世田谷領」という文字もあるので、奥沢村のものである。

明治の廃仏毀釈で随分とぞんざいな扱いを受けた石仏たちは、昭和の初期まで打ち捨てられるようなことが多かったというが、今になって民俗の貴重な資料と証拠としての価値が問われており、綿々と守られていれば日本の文化財はもっと世界に冠たるものになったのではないかと思う。

場所  世田谷区奥沢7丁目41-3

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