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2019年7月18日 (木)

浄真寺参道の石仏(2)(世田谷区奥沢)

浄真寺参道に並ぶ8基の石仏の後半。左から5番目(右から4番目)は典型的な庚申塔。かなり古そうな板状駒型の庚申塔で、青面金剛像に三猿が彫られている。造立年は寛文12年(1672)と比較的初期の庚申塔。その30年ほど前に鎖国となり、20年後には元禄文化の華が咲いた時代である。

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庚申供養 武刕荏原郡 世田谷奥沢村の銘がある。江戸時代初期は等々力村と奥沢村の間、現在の目黒通りの南側一帯は未開発地であった。その地域を江戸時代中期にかけて開発し奥沢新田と呼んだ。元禄時代前後のことである。九品仏浄真寺が徳川家の加護により開かれたのは延宝6年(1678)であるから、この庚申塔はそれ以前のもの。こういう古いものに出合うと感心する。

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右隣にあるのは善光寺講の供養塔である。側面に掘られた造立年が肝心の年数のところが欠損していて特定できない。年号についてははっきりと明和と読めるので、時代的には1764~1772年の間のものである。その隣(右から2番目)もまた善光寺講の供養塔。

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唐破風の笠付の角柱だが、こちらは文化11年(1814)と読める。善光寺講というのは江戸時代中期から後期にかけて庶民の間に流行した代参講のひとつ。特定の神社仏閣に参拝する為に講を作り、協力し合ってお参りの旅をした。善光寺講は当然長野の善光寺である。他には伊勢講、金毘羅講、高野講、秋葉講などがあった。江戸時代後半になると、代参講はほとんど町内会の懇親旅行になっていたようだ。

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一番右にある石仏は風化と欠損でほとんど読めないが、側面は読み取れる。昭和の後期に撮られた写真では前面に「庚申塔」という文字が大きくはっきりと見て取れるのだが、現在は見る方もない。造立は文化8年(1811)で、右側には九品仏道とあるので、道標も兼ねていたか。

この8基の石仏石塔の並びは実にバラエティに富んでいて面白い。

場所   世田谷区奥沢7丁目36-12

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