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2019年8月22日 (木)

慈眼寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田)

江戸時代大山道は二子の渡しで多摩川を渡るのに瀬田の延命地蔵尊から、「慈眼寺ルート」と「行善寺ルート」という二つの道に分かれていた。玉川は暴れ川でしばしば流れを変えていたので、時代によって渡し場が移動したために二つのルートが出来たという。 西側のルートが慈眼寺ルートである。慈眼寺は隣りの玉川神社と並んで、このルートのランドマークでもある。

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道が国分寺崖線を下り始めるところに笠付の立派な庚申塔があり、ここが慈眼寺の参道。唐破風笠付の角柱型庚申塔は元禄10年(1697)の造立。青面金剛像と三猿の図柄で、願主16人の名前と荏原郡瀬田村の銘がある。 慈眼寺は徳治元年(1306)の開基、瀬田村で最も古い寺院である。初めは修験の地で小堂が崖下にあったが、天文2年(1533)に崖上に移転し、真言宗喜楽山教令院慈眼寺となった。

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向かって右に並ぶのは、駒型の庚申塔で摩耗が進んでいるが、青面金剛像と三猿の図柄で、造立年は享保16年(1731)とある。 その隣りは、馬頭観音で、こちらは新しく大正11年(1922)のもの。願主は中嶌忠次の銘。 この庚申塔から右にターンすると、慈眼寺の山門がそびえる。

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本堂と山門は戦後昭和50年(1975)に建て直されたものだが、とても立派できれいである。前後に四天王が配置されている。境内に入ると、本堂まではこじんまりとした感じだが、左手から墓所に入る部分にはいくつもの古い石仏がある。その中で、無縁仏のまとまりの頂上部に、墓石に混じってその中心として地蔵立像が置かれている。

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地蔵立像の造立年は元禄9年(1696)。「念仏供養現世後生二世安楽所 武刕荏原郡瀬田村」とある。 「女人同行16人」とも記されているので、女念仏講中で建立したものだろう。 いつも不思議に思うのだが、江戸時代中期の石仏は傷みが少なく保存状態がいいのに、明治大正期のものは摩滅がひどいものが多い。 材質にもよるのだろうが、やはり江戸時代の技術は凄いものがあったのだろうと思わざるを得ない。

場所  庚申塔  世田谷区瀬田4丁目11-25

       慈眼寺  世田谷区瀬田4丁目10-3

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