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2019年8月 8日 (木)

用賀無量寺の石仏(1)

用賀には二つの大きな寺がある。二つの寺院は250mほどしか離れていないが、実は明治時代までこの間には小さな川が流れていた。そこには現在商店街があるが、それがかつての沢筋だと思われる。無量寺の標高は35.6m、商店街が34.6m、真福寺が35.2mなので、最大1mほどの高低差しかない。水源は天神池と言われる湧水で現在は公園があるのみ。無量寺の起こりは文禄3年(1594)とされる。真福寺よりも若干新しい。

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山門はなかなか立派である。山門前には数基の石仏石塔がある。京都東寺の築地塀を模した塀が良い。門に向かって一番左の橋には中丸地蔵がある。門脇左には地蔵座像、門脇右には地蔵立像、馬頭観音、供養塔が並ぶ。

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山門右側の地蔵立像は高さが172㎝、丸彫の地蔵菩薩で、天明8年(1788)のものである。台石の正面には三界万霊とあり、左面には「武州荏原郡世田ヶ谷領用賀上本村 女念仏講中」とある。江戸時代中期は女性の念仏講中が盛んだったようだ。この三界万霊の地蔵は天明から数年にわたる飢饉や大雨などでの多くの犠牲者の霊を祀ったものと言われる。

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地蔵の右下にあるのが馬頭観音。大正11年(1922)のもので、中村信四郎の銘がある。そのさらに右、道路に近い所には「観音堂入口」の石碑と並んで供養塔が立っている。これは写経塔と呼ばれるもの。通常はもっと大きなもので、信者が書き写したお経を収めたりする。写経塔は寛保3年(1743)のもので、正面には「南無十一面観世音菩薩」とあり、右面には「武刕荏原郡野良田村 願主粕谷氏万英」の銘。隣の上野毛の粕谷家のものらしい。

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観音堂というのは境内にある十一面観音を収めたお堂の事だが、この観音様には謂れがある。一説にはこの観音は行基の作と言われる。天正年間(1573~1592)に用賀の住民であった高橋某という人物が、品川の浜で漁師の網に掛かって揚げられたものを譲り受けて自宅に祀っていた。ある日夢枕に観音が現れて、これを無量寺に安置せよとのお告げがあり、無量寺に十一面観音があるという訳だ。この話からすると寺の始まりと関係がありそうだがそれについては何の話もない。

場所   世田谷区用賀4丁目20-1

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