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2019年8月21日 (水)

大山道道標と旧陸軍標石(渋谷区代々木)

参宮橋駅を降りる。はて参宮橋とはどこにあるのだろうと思い探してみると、川を渡る橋ではなく、西参道が小田急線を渡る跨線橋が参宮橋だと知った。甲州街道から西参道に入るとすぐに広い道路の左右に大きな灯篭がある。大正9年に建てられたもので、甲州街道から玉川上水を渡った直後にあった。この初台側には当時、京王線の神宮裏駅があった。そこから500mほどで小田急線を越える参宮橋である。ただここにはそれ以前から代々木練兵場への連絡道路として広い道が既にあった。その東側にある、文化学園大学脇から南下してくる道が江戸時代からの道である。

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この古道が小田急線を渡るところに小糸邸があり、その入り口の植木に囲まれて大山道の道標が立っている。ここから現在の富ヶ谷(渋谷川支流の宇田川が谷を形成)を越え、東大駒場キャンパスを南北に貫いて、瀧坂道から大橋に下り厚木街道(大山道)に合流していた。道標の高さは141㎝とかなり高い。

正面上部には天狗が2面、大山石尊大権現と中央に彫られ、右に大天狗、左に小天狗とある。使用によると、左側面には「左 目黒不動尊 祐天寺」、右側面には「右 相州大山 北沢淡島」、弘化3年(1846)の造立とある。願主は、小糸弥兵衛氏の銘。

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もう一つ、気になっていたものがあり、それは参宮橋の上りホームと道路の間の鉄柵脇に立つ「陸宮省所轄…」とある標石である。調べてみると、江戸城や江戸の街に詳しい黒田涼氏の『大軍都 東京を歩く』に載っている。現在国立オリンピック記念青少年センターがあるところは、時代のうねりに伴って変遷している。江戸時代は大部分が農地と農家で主に茶畑が広がっていたが、明治40年(1907)に陸軍の代々木練兵場になった。この段階で明治神宮はすでに御料地であった。まだ小田急はなく、電車が通るのは昭和2年(1927)のことである。

1945年に終戦を迎えると、この場所は進駐軍に占拠された。代々木公園も含めた広いエリアがワシントンハイツと呼ばれる米軍宿舎である。それが日本に戻ってきたのは東京オリンピックを迎えて、ここに選手村を作った1964年であった。それまで南は現在のNHKに至るまでが米軍の住居になっていたのである。オリンピックが終わってからは、選手村の事後活用として宿泊施設が残されて現在に至っている。

歴史を踏まえて、明治神宮の森を眺めてみると、平和な茶畑~陸軍練兵場で厳しい訓練を受ける兵士たち~異国の地を楽しむ米兵の広大な街~世界のアスリートが集まる選手村~現在という、大きな変化が瞼に映る。

場所  大山道道標 渋谷区代々木3丁目42-7

        陸軍省所轄の標石  渋谷区代々木4丁目6-7

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