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2019年8月19日 (月)

代々木八幡福泉寺の石仏(渋谷区代々木)

代々木八幡神社に隣接する寺院が福泉寺である。代々木八幡の創建は建歴2年(1212)、鎌倉時代初期だが、東隣の福泉寺は創建年は同年(1212)、また正保元年(1645)に紀伊殿の妾である円住院が中興、浄土宗から天台宗に改めたという記録があるが、代々木八幡と同じ時期に草庵から始まったとみていいのではないだろうか。 ちなみに小説家の平岩弓枝は代々木八幡の宮司の娘である。

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代々木八幡神社の参道が左に曲がっているところをまっすぐ行くと福泉寺、その路傍に庚申塔が並んでいる。明治時代に神仏混淆(しんぶつこんこう)が禁止されるまで、代々木八幡宮と福泉寺は兄弟のようにしてきたが、その後もお上はお上で、我らは我らという具合に、関係を保ってきたような様子が感じられる。明治政府の神仏分離、廃仏毀釈は史上稀に見る悪政だが、それでも寺がこういう野仏を守ってきたことには有難みを感じる。

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一番左にあるのが三猿のみの庚申塔。 三猿のみというのは意外と例が多い。この庚申塔は日月と三猿だけ。真ん中に「奉造立庚申」とある。造立年は分からない。高さ78㎝と中くらいだが、ここの庚申塔はほぼこのサイズが並んでいる。

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二番目の庚申塔は正面金剛像がはっきりと描かれている。三猿も下に彫られている。 駒型で高さは77㎝。造立年は宝永6年(1709)だから、2年前の富士山の宝永噴火の影響の残る中で造られたものである。あまり知られていないが、宝永大噴火の1ヶ月ほど前には南海・東海連動の大地震が発生しており、マグニチュードは8.4だが、さらにその4年前には元禄大地震(震源地は千葉県野島崎、マグニチュード8.2)が発生し、地震と津波で1万人以上が亡くなっている。そういう地学的な時代背景を考えるとこの時代の民間信仰の野仏が多いのは納得感がある。

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三番目の庚申塔は光背型の地蔵立像である。右側に「庚申構中(講中の誤字)」とある。日本人は信仰もボーダレスなので、念仏講や庚申講、山岳信仰、仏教、神教などを容易に融合する。元に、クリスマスのあとは除夜の鐘、そして初詣と、なんでもありである。この地蔵立像の庚申塔は宝暦5年(1755)の造立。左側に外輪村の銘がある。

外輪村というのは村ではなく小字。今の代々木神園町、神宮前1丁目、千駄ヶ谷3丁目にあたる。江戸時代、その東側は隠田村だった。住んでいる人がいるかどうかは分からないが、場所でいうと代々木神園町は明治神宮と代々木公園である(調べてみたら100人余り住んでいる)。神宮前1丁目は原宿ラフォーレや竹下通りのある辺り。今は全国区の人気エリアだが、江戸時代は村の外れだった。

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四番目の庚申塔はこの中で最も新しく、寛政6年(1794)のもの。駒型で青面金剛像と三猿の図柄である。

代々木八幡と福泉寺の境内は東に河骨川、西に初台の沢、南に宇田川が流れる台地の突端。 しかもここだけが高い。標高は37mあり、小田急線の標高は21m、北側の道は32mなので、地形としては城郭っぽい。大昔は波打ち際で縄文人が生活をしていた場所だが、鎌倉時代以前には地方豪族もここに館を構えていたのではないかと推測したりするとまた面白い。まあ、遺品が出土していないので望み薄ではあるが。

場所  渋谷区代々木5丁目2-13

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