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2019年9月 1日 (日)

野沢水車と根岸邸鬼子母神堂(世田谷区野沢)

かつての品川用水は上馬から環七の筋を南下し、野沢交差点で斜め左に向かう道筋に沿っていた。その先は学芸大学駅の北を二子道に沿って流れ、戸越方面を潤していた。しかし世田谷区周辺の農民は品川用水の恩恵をあまり受ける事が出来なかった。明治に入り、明治22年(1889)になると野沢村、上馬引沢村、下馬引沢村、弦巻村、世田谷新町、深沢村が合併し、駒沢村が出来た。 そして明治29年(1896)に初代村長谷岡氏により、品川用水の水を引き入れた野沢水車が設置された。

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水車は大正9年(1920)に落雷を受け焼けてしまったが、その後大規模に再興し、直径10mの巨大水車になったという。当時の技術力も凄いものだが、昭和の初期に書かれたという上の絵の水車はいささか小さめに描かれているようだ。

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現在ここにあるバス停の名前が水車橋。 しばしばバス停は歴史をその名に残してくれる。ところでこの水車の大工事に際し、土を掘り下げていくと土中から7体の人骨が出てきたという。そこで村人はその霊を慰めるために「南無妙法蓮華経」を7万回写経し、そのうち3万を水車の棟木に、3万を近くの正徳寺の一部に納め、残りの1万を品川用水に流して施餓鬼供養をしたと伝えられる。

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寛文4年(1664)に品川用水の通水祈念のため建てた馬引沢水神が今も根岸家によって守られている。 マンション裏の階段を上って辿り着く、普通は誰も入らない場所だが、多くの石仏が並んでいる。関東大震災の時に用水の土手が崩れたのをきっかけに、品川用水は閉鎖され、昭和になると暗渠化された。しかしこのお堂(鬼子母神堂)は今も健在である。

お堂の境内に入ると、根岸家が書いた看板が目に留まる。「子供さんたちにお願い・・・。この場所は日蓮上人と鬼子母神というありがたいみ仏様がお祭りしてあるところです。この場所で悪い事やいたづらをするととてもおそろしい事が君達におこります。おまいりしてお願いすると良い事があります。今日からはよい子になりましょう。 根岸」

現代の子供はこんなところで遊ばないだろうが、中学生くらいのワルなら来るかもしれない。恐れを知るというのは人が生きる中でもっとも大切なことのひとつだから、根岸家の言葉を誰かがかみしめてくれたらありがたい。ちなみにこの鬼子母神堂、地図には野澤山正徳寺とある。

場所  世田谷区野沢3丁目10-20

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