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2019年8月11日 (日)

瀬田の延命地蔵尊(世田谷区玉川台)

東京でも有数の渋滞ポイントである瀬田交差点、環八と国道246号が交差し、近くには東名(首都高)のインターチェンジもある。時間を遡って昭和30年代を見ると、環八はまだ車が何とかすれ違える程度の道幅で、用賀から二子玉川への玉電の大山街道は電車が並ぶと車が通れないほどの狭い電車道だった。

さらに時代を遡り江戸時代、用賀を通る大山街道は用賀村と瀬田村の村境で二又に分かれていた。南西に進むと慈眼寺ルートで二子の渡しへ、南に進むと行善寺ルートで同じく二子の渡しへ向かっていた。どっちを通っても大した変わりのない大山街道の瀬田~二子玉川間だが、江戸時代の渡しは多摩川の水量によって川止めになったり、その時の水の加減によって渡し場の位置が上流になったり下流になったりしたようである。

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その二つのルートが分岐するところにあるのが延命地蔵尊。頑丈な堂宇に守られていて、直接地蔵を拝めないが、スリットの隙間から見ることはできる。地蔵は丸彫の地蔵立像で、高さは157㎝、台石の正面には「法界万霊」、左面には「用賀村女念仏講中」、右面には「安永6年(1777)11月」と刻まれている。

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念仏講は、戦前はこのあたりでも各集落ごとにあって、毎月15日と誰かが亡くなった時に集まり、数珠を回しながら、輪になって念仏を唱えるという百万遍の儀式を行ったらしい。毎月15日の集まりは「月並念仏」と言われ、各家が輪番制で当番を決めてその家で行っていた。用賀村については、本村と向原(向)では昭和の終わりころまでこの儀式が行われていたという。

場所  世田谷区玉川台2丁目3-15

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