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2019年8月30日 (金)

五十嵐宅庚申塔(目黒区東が丘)

世田谷区野沢と目黒区東が丘の街境の西半分は環状七号線ではなく細街路で区分けされている。 この細街路は江戸時代からある道で「二子道」と江戸時代には呼ばれていた。碑文谷村から野沢を通り駒沢で大山道に合流する。江戸時代は野沢村と深沢村の村境であった。境で古道とくれば大概何らかの石仏がある。

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五十嵐建設という看板のある家の脇に庚申堂が立っている。 目黒区では「五十嵐宅庚申塔」としている。貴重な石仏を守っていただいており頭が下がる。この辻から南へ下る脇道も江戸時代からの道。ここから南下すると呑川を渡る事になる。当時は衾村(現在の碑文谷あたり)へ繋がる道だった。呑川もここいら辺りは上流だが、それなりに谷を刻んでいて、呑川筋は10m近く低くなっている。

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堂内には二つの庚申塔。 右の大きい方は板碑型で三猿のみの図柄。 造立年は延宝4年(1676)とかなり古い。うっすらと「妙法奉寄進庚申供養」と読めた。左の庚申塔は駒型で青面金剛像と三猿らしき形は見えるものの風化が激しくて文字などは全く分からない。年代も不詳である。

昭和初期の手書きの地図が世田谷区の史料に残されている。そこにはこの場所に「五十嵐大さん、石地蔵」と書かれていた。ここから東に向い環七に出たところ、現在は東京ガスの野沢四丁目整圧器室という設備がある所には道標の石地蔵と二本松があったとも描かれている。こちらの地蔵尊は資料によると野沢龍雲寺に移設されたとある。Web上の写真を見ると並ぶ地蔵の中に大きな土台に「世田ヶ谷道 堀ノ内道」と書かれた地蔵座像があるのでレポートしたい。

場所  目黒区東が丘1丁目12-19

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