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2019年8月 6日 (火)

中丸地蔵(世田谷区上用賀)

東名高速の用賀インターから200mほどのところにかつて中丸地蔵という不思議な顔の地蔵があった。中丸というのは用賀のこの辺りの旧地名で、昔は大字用賀の中心は現在の上用賀3丁目バス停辺り、用賀中町通りと砧公園通りが交差する周辺であった。中丸には世田谷通りあたりを水源とした谷沢川の最上流が細々と流れ、その水を利用した水田が広がっていた。昭和に入って耕地整理が進み、谷沢川は碁盤目の道に合わせた流れに替えられた。その暗渠は現在も明確に残っている。

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かつて中丸地蔵があった場所はそのまま半畳ほどの区画で残されており、中丸地蔵と書いた石碑と小さな立て札が立っている。「中丸地蔵 この場所に中丸地蔵がありました。昔は道標の役目もしていたようです。現在は無量寺に移されました。」とある。早速無量寺へ行ってみる。無量寺の山門前、いくつかの地蔵や馬頭観音があり、西の端に不思議な顔の地蔵が立っている。これが中丸地蔵である。台座の正面には、「三界万霊」と中央に書かれ、その右に「右府中道」、左には「左大山道」とある。左面には「世田ヶ谷領 用賀村 女念仏講中」右面には造立年が彫られている。造立は享和2年(1802)である。

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この不思議な顔は外国人をモチーフにしたものではないかと思うが、真偽は分からない。用賀の地名の由来がインド発祥のヨガから来ているというネタをバラエティ番組で時折言っているのに感化されてしまったかもしれない。郷土史では、鎌倉時代初期に勢田郷(瀬田)にユガ(梵語)の道場が開設されて、後にユガがヨーガと転訛したのではないかと言われている。

大山街道が江戸時代に賑やかになってくると、村の中心は現在の用賀駅周辺に変わっていった。旧道(かつて玉電が走った道)が首都高速と交差する場所には田中橋が今もある。田中橋という名前は大山街道が主要道になっていった頃でもまだ、田んぼの中にある橋ということで名付けられたと伝えられる。現在は頭上に何万台もの車が行き交う賑やかな場所だから、とても想像がつかないだろう。

場所   世田谷区上用賀5丁目7-23

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