« 慈眼寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田) | トップページ | 法徳寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田) »

2019年8月23日 (金)

行善寺と境内の石仏(世田谷区瀬田)

大山道の西が慈眼寺ルートならば東は行善寺ルート。 こちらも国分寺崖線の崖上にある寺院。門前にある説明書きによると、開山は永禄年間(1558~1569)というから織田信長が勢力を広げ室町幕府を倒した時代。 ただし慈眼寺と同じく、当所は崖下にあったが、寛永年間(1624~1644)に崖下から台地上へ移転したと伝えられる。当時は多摩川の氾濫が度々起こり、人々は徐々に台地上の開墾を行うようになって瀬田村が開発されていった。

P1060938

行善寺の標高は35m、目の前の道路が行善寺坂だが坂下は14mだから、20m以上の高低差がある。そのため多摩川方面の眺望に優れており、江戸時代から風光明媚な景勝地として人気があり、徳川11代将軍家斉、12代家慶、13代家定らが好んで立ち寄ったという。 その行善寺八景とは、瀬田の黄稲、岡本の紅葉、大蔵の夜雨、登戸の晩鐘、富士の晴雪、川辺の夕烟、吉沢の暁月、二子の帰帆の八景というが、その出処の成島司道の『玉川遊記』については全く知らない。

P1060950

瀬田の黄稲、岡本の紅葉については秋に広がる風景として想像できる。また富士山が望めることもわかるが、まあ江戸時代に風流を感じられる場所だったということであろう。現在も本堂裏手からの展望はあるが、高島屋が大きすぎて興趣を欠く。また夏は下草が伸びていて展望が悪いので、冬の空気がきれいな時期に富士を眺めるのが良いかもしれない。

P1060947

墓所入口にはいくつもの石仏がある。六地蔵は享保5年(1720)の造立。 台座の文字については、一番左の地蔵は「瀬田村下中通り 女念仏同行22人」、次が「念仏同行 19人」、3番目が「念仏同行22人 下中通」、4番目は「念仏同行19人」、5番目が「念仏同行19人 瀬田村」、一番右は「念仏同行19人」とある。あちこちの念仏講でまとまって造立したのであろう。

P1060943

六地蔵の後ろには地蔵立像が並ぶ。後列左側の地蔵立像は、延宝4年(1676)のもの。「為二世安楽念仏供養 武刕荏原郡之内瀬田村」とある。真ん中の子育地蔵は新しい。 右側の地蔵立像はこれも左と同じく舟型光背型で寛文7年(1667)と古い。 「奉造立庚申供養 武刕荏原郡 瀬田村」とあるので庚申講によるものだが、この年代は貴重である。

P1060953

また境内には猫塚という石碑がある。別に行善寺は猫寺ではない。明治から昭和初期にかけて、二子玉川は鮎釣り場としての人気が高く、加えて多摩川の舟遊びと土手の花街の賑わいがあった。 以前は富士観会館という結婚式場があった辺り(現在はマンション)は土手の川側に含まれ、多摩堤通りにある堤防の外になっているが、そこが花街だった。

その花街では三味線が使われ、三味線のために皮をはがされた猫の供養にと料亭街の中に猫塚が築かれた。それを後に行善寺に移したものである。富士観会館がなくなった時に、二子玉川は普通の街になってしまったような感覚があったが、玉電が終わった時に住んでいた人は同じような気持ちだったのだろう。

場所   世田谷区瀬田1丁目12-3

|

« 慈眼寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田) | トップページ | 法徳寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 慈眼寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田) | トップページ | 法徳寺門前の庚申塔(世田谷区瀬田) »