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2019年8月16日 (金)

中之橋地蔵堂の庚申塔(世田谷区大蔵)

仙川が世田谷通りをくぐる辺りは、多摩川と野川によって形成された国分寺崖線に、北から流れてきた仙川が谷を削って下る場所で、小田急線辺りから比べると仙川の川床に高低差がある。川面の標高をみると、野川は小田急線下で18m、仙川は33mで、仙川の方がずっと高い。仙川が世田谷通りをくぐる辺りの標高は25mまで下がる。そして東名高速下では19mまで下がりほぼ野川と同じになる。

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座頭ころがし下の打越辻からさらに下ると中之橋という橋になる。ここの標高は20mを切り、これより上流にはかつての川の段差に合わせた小堰堤がいくつもある。その橋の近くに二つの堂宇がある。向かって左の堂宇には地蔵立像が1基、右の堂宇には庚申塔が2基並んでいる。この辺りは大蔵村の中でも石井戸と呼ばれた地区で、住民にも石井さんがやたら多い。

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まず左の堂宇の舟型の地蔵立像だが、文字が殆ど読めない。後年の説明書きから、造立年は元文5年(1740)と推定。右側の肩の横あたりに「庚申」の文字も見えるので、庚申塔のひとつとしての地蔵立像だろう。詳しいことはおそらく鎮座祈願をした住職もわからないと思う。

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右の堂宇の庚申塔(左側)は、駒型で青面金剛像に邪鬼、三猿の図柄。造立年は享保13年(1728)で、大蔵村講中12人とある。また隣にある右側の庚申塔も駒型で、右上がちょっと欠損している。こちらも青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、造立年は享保15年(1730)と隣の庚申塔の翌翌年である。こちらは大蔵村講中10人の銘がある。

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ここの庚申塔は、昔は座頭ころがしの下にあったものらしい。引越しの年度は分からない。堂内の説明板には次のように書かれていた。

中の橋地蔵尊  地蔵尊・庚申様新築上屋根工事由来

地蔵尊は今から260年前、子育・火防・盗難除け・病気平癒・身体健全と庶民のあらゆる願いを叶えてくれる仏として祈願されたと言われております。今や時代も変わり、子供は元より老人まで交通安全の仏として広く信仰されております。

庚申様二体は古く、今から272年前庚申供養石像が建てられ霊験あらたかな神として大蔵石井戸村民の構成する地域共同体意識を基に維持信奉されてきたと思われます。

今般関係諸官庁、工事関係者(小樽工業)と石井戸工務店関係業者のご厚意により、上屋根の完成を観ることが出来ました。今日自治会奉賛開院・他諸団体長を招き、祭主妙法寺住職鵜小林教一師により鎮座祈願式典を挙行いたしました後、石仏の今昔を偲び妙法寺久遠庵にて直会を施行いたしました。

平成12年3月12日

今週もお盆の墓参りに妙法寺へ行ってきた。

場所  世田谷区大蔵5丁目7-1

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