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2019年8月17日 (土)

元代々木町の庚申地蔵(渋谷区元代々木町)

渋谷区代々木から幡ヶ谷にかけては明治時代までは代々幡村という農村であった。今でこそ代々木駅周辺が代々木だと思われているが、実は代々木上原と代々木八幡の間が代々木では最初に開墾された地区。 渋谷川支流の宇田川の源流の沢が武蔵野台地を削って作った低地に田んぼを切り開いた。現在は小田急線が走っている周辺で、東は代々木八幡神社から西は雲照寺の東側の谷筋まで、江戸時代から昭和中期まで代々木本町という地名だった。それが昭和中期の町名改変で元代々木町となったのである。

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小田急線の北側をくねるように東西に走る細い道がある。江戸時代は代々木八幡から下北沢村の大山に繋がる村の主要道であった。現在も地形にしたいして素直に曲がりくねる私の好きな道のひとつである。その道の途中に庚申塔と地蔵菩薩がある。渋谷区の立てた説明板は概ね一般論で、この石仏についての説明はない。

昔はこの道から北側が台地に向かって上り斜面でポツポツと家があり、道から南側は宇田川流域の田んぼであった。今は想像すら困難だが、つい100年ほど前まではそんな農村風景だった。

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真ん中にある二つの石仏の内、左の地蔵立像についてはよく分からない。周辺が欠損していて補修した跡があるが、文字が消えている。読み取れないので渋谷区の資料を確認すると、舟型地蔵立像の供養塔で元禄6年(1693)もしくは元禄16年(1703)の造立らしい。供養同行拾七人とあるので、念仏講の供養塔か。右側の石仏は舟型の庚申塔で、青面金剛像と三猿の図柄。造立年は不明。おそらく隣の供養塔に近い年代であろう。間の小さい石仏については全く分からない。

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目立たないが、庚申塔の右側にも文字塔の庚申塔がある。正面には「庚申供養 橋誦中」とあるが意味が分からない。石橋供養で庚申講中の意味だろうか。年号についても読み取れないが、寛永18年(1641)もしくは享保18年(1733)だろうというのが渋谷区の資料にある説だが、その後誰かが年号部分を修復して享保18年というのが決まりのようである。

場所  渋谷区元代々木町23-11

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