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2019年9月14日 (土)

立帖場の石仏(世田谷区北烏山)

千歳烏山の北、かつての烏山上宿と中宿の境を南北に走る松葉通りを北上し、国道20号線を越えると西側に墓地が見えてくる。角に大きな碑が立っていて、「武州烏山村 史跡 立帖場の碑」とある。

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「往昔 この地域を武蔵国多摩郡烏山村といった。松葉山の南端であるこの地と里人は立帖場と呼んでいた。松葉山の東側一帯は大神、南西一帯を西の谷、北側一帯を丸山と呼び、古府中道に面していた。丸山には大昔からの湧水地である亀の子出井があり、古烏山川の源頭。この地は源氏東征にも深く関わっており、源義家がこの地に宿営。(中略)江戸時代になり烏山は天領と旗本領の境となった折、この立帖場が基準地となった。(後略)」と長い歴史を刻んでいる。

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墓所には野ざらしの地蔵が2基立っている。左の大きな地蔵は天明6年(1784)のもの。「烏山念仏講中 天明4年11月」とあり、女性名が27名ほど彫られている。いわゆる女念仏講中であろう。右の小さな地蔵は以前は首がなかったが現在は補修されている。造立年は不詳。風化と傷みが激しくて文字もほとんど読めない。右面に仮名の名前があるのでこれも同じく念仏講中のものだろう。

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その隣には庚申塔が立っている。前面はかなり傷んでいるが昭和の後期の写真はこれほど傷んでいないのでもしかしたらいたずらに壊された可能性もある。櫛型角柱型の庚申塔は青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、土台に烏山講中とある。造立年は享和2年(1802)10月と書かれている。

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その脇に気になる板碑風の石碑がある。区の史料にも出てこないが、梵字がいくつか彫られている。上部真ん中はキリークだろうがあとはほとんど私には読めない。このタイプは古いものが多い。これまで見てきた中では新しいものでも1600年代後半なので、それ以前の可能性もある。板碑はほぼ寺社仏閣内に保存されているのでなかなか野で見ることはないのだが、これは板碑型の念仏塔の上部であるような印象を受けた。ひとつ宿題になった。

場所  世田谷区北烏山3丁目8-16

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