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2019年9月28日 (土)

田道庚申塔群 右側(目黒区目黒)

江戸時代の目黒川はくねくねと曲がった川筋で洪水を繰返していた。今でも大雨の時には目黒川が危険水位になったとニュースになるくらいだから、当時は日常茶飯事だったかもしれない。江戸城方面から来ると、25mの高低差の河岸段丘を下り目黒川にぶつかるが、その先へ行くには橋を渡らなければならない。

下流にある橋はもっとも古い街道である行人坂を下ると太鼓橋(目黒雅叙園前)、その一つ上流が菅沼権之助が架けたという新橋、その上流が田道橋である。この上はしばらく橋がなく、別所坂から下ってきた古道の梍橋(さいかちばし)が一つ上流の橋。三代将軍家光が鷹狩りに通った道もこの田道橋で、鷹狩りの帰りに田道橋を渡り河岸段丘の途中の茶屋坂の主人に腹が減ったと言って食べた秋刀魚の話が落語で有名な『目黒の秋刀魚』である。

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現在田道という街名はないが、この辺りは江戸時代から今日まで田道で通じる。田道橋と下流の新橋の間で南から合流するのが谷戸前川。田道橋から道は二手に分かれ、右は馬喰坂へ、左は谷戸前川沿いの道になる。この左の道を進んだところに7基の石塔が並んでいる。田道庚申塔群である。1基の地蔵と6基の庚申塔、どれもが江戸時代前期から中期の古いものである。

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まずは右の3基から。一番右は地蔵立像である。「田道地蔵」と呼ばれている。上部には「念佛供養」とあり、「権大僧都法印生栄」他多数の銘が左右に彫られている。造立年は延宝元年(1673)10月。隣の大きな板碑型庚申塔は頂頭部が欠けている。青面金剛像に三猿の図柄で、造立年は延宝5年(1677)10月と6基の庚申塔の中では最古である。三番目は駒型の庚申塔。青面金剛像に二鶏・三猿が描かれ、「奉庚申供養」とある。造立年は元禄8年(1695)11月。これだけ古い年代の庚申塔がこのように綺麗な状態で保存されているのには感心する。

場所  目黒区目黒2丁目13-7

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