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2019年9月 4日 (水)

駒繋神社の庚申塔(世田谷区下馬)

世田谷区下馬周辺には源氏伝説が多い。鎌倉時代の始まりの頃、源頼朝が奥州平泉の藤原氏征伐に向かう道すがらこの蛇崩川に差し掛かったところ、突然頼朝の乗っていた馬が暴れだし、沢の深みに落ちてしまった。頼朝達は馬を救おうとしたが馬はまもなく死んでしまった。 その馬を葬ったのが下馬の道路の真ん中に鎮座し車を左右に避けさせる葦毛塚である。

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頼朝は「以後この沢(蛇崩川)は馬を引いて渡るべし」としたので、馬引沢村の地名が生まれ、それが江戸時代に上馬引沢村、下馬引沢村に分かれ、その名残が上馬、下馬という地名になった。 また駒繋神社は明治時代からの神社名でそれ以前は子の神と呼ばれていた。

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神社の境内の下が蛇崩川の暗渠になっているが、そこに「こまつなぎはし」が架かっている。欄干の一方には「神橋」とも書かれている。頼朝が馬を繋いだという松は既に三代目になっているが、現在工事中で以前の場所には今回たどり着けなかった。頼朝がこの地に立寄ったのは文治5年(1189)というから古い話である。

愛馬を死なせた頼朝の前に、一人の老婆が現れ、馬の死という不吉を祓って選奨を祈るために、近くの子の神(ねのかみ)に詣でるように進言した。その後奥州征伐に成功した頼朝が帰りにお礼参りに立寄り、その時の馬を繋いだのが駒繋の松という伝説である。明治になり神仏分離が進んでから駒繋神社の名前になったのはいささかわざとらしい。

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神社の境内に1基の庚申塔が立っていた。山状角柱型で「奉納庚申供養」とあり、横に享保7年(1722)の造立年が彫られている。各面には多くの願主の名前がある。神社の場合庚申塔は隅っこにあることが多いが、この庚申塔は参道の傍にある。文字塔なので、廃仏毀釈の時に捨てられずに済んだのだろうか。

場所  世田谷区下馬4丁目27-26

 

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