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2019年9月 2日 (月)

鬼子母神堂の石仏(世田谷区野沢)

さて、根岸邸の鬼子母神堂境内にある石仏群だが、まずこの草庵の名前が書かれた新しい石碑が鬼子母神堂の右側にある。そこには「馬引澤水神」と「野澤山正徳寺」という二つの名前が書かれている。

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一体どっちなんだろうと思ったが、両方なのだろう。もともとは水神様があり、ここにお堂を立てて正徳寺としたのではないかと思われる。もっともこの石碑は昭和44年のもの。では、左手前から石仏群を見てみたいが、その手前に五輪塔に似た石積みがあるのが気になった。ただしそれが何なのかは全く分からない。

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最初にあるのは観世音菩薩立像。 文字は全く見当たらないので年代も不詳である。平成5年(1993)の取材をもとに書かれた『ふるさと世田谷を語る』の野沢の項の写真では同じ位置に各石仏が並び、この観世音菩薩像はゼニゴケだらけだった。 後にきれいにしていただいたのだろう。

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その脇にはなんだかわからない石仏がある。実はこれ、平成5年の上記の野沢の項ではちゃんと首がある地蔵座像のように見える。過去何度か首が取れたのだろう。 首にボルトが打ち込まれているので、新たな頭部を作って修復したが再び壊されたような感じである。根岸家の看板の「わるいこと」というのと何か関係があるのだろうかと疑ってみる。

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その隣にあるのは角の取れた、おそらくは自然石であろう馬頭観音である。この馬頭観音は嘉永6年(1853)の造立。 世田谷の馬頭観音としては江戸時代のものはあまり多くない。その向こう側には庚申塔。造立年は不詳である。 「庚申」としか彫られていない。

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左の列のうちでもっともお堂に近いところにあるのがここでは最大の廿三夜供養塔である。高さは113㎝ある。造立は寛政6年(1794)である。下部には女人講中とあり、二文字の女性名が並ぶ。「タウ、セン、ウメ、ハナ、ステ、タメ、ミワ、セン」とあり、興味深い。江戸時代の女性たちの名前はそんな感じだったのかと感心する。

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お堂の前には「大乗妙典供養」と書かれた供養塔がある。これが最も古く、造立年は宝暦10年(1760)。施主は尾渕家の3人の名前がある。大乗妙典は法華経の経典の事で、正式には「妙法蓮華経」というが、読んでいたお経を読経にとどまらず読誦(ドクジュ)塔に刻む時代もあった。特に法華経関連に多い。それぞれの時代にいろいろなバリエーションがある。

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右側にはただ一つ、聖観音像がある。 これも何も書かれておらず、時代も不詳である。

ところで野沢の水神の伝説がある。

品川領戸越の里に4万5千坪の抱屋敷をもらった若狭守が、屋敷の庭の池の用水として玉川上水から引水をしたのが品川用水の始まりである。工事を進めるうちに野沢の辺りまで達した時に、急に水の流れが消えてしまうという現象が現れた。掘っても掘っても水は消えていくうちに1年が過ぎた。そこで皆で水神様を祀り祈ると水が復活した。そして7里(28㎞)の工事は無事に完成したという。

人々はこの水神様を、ドンドン水神様と呼び、正徳寺内に移して手厚く祀ったそうである。ちなみに水神様のご神体は白蛇らしい。

場所  世田谷区野沢3丁目10-20

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