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2019年9月21日 (土)

目黒銀座馬頭観音(目黒区上目黒)

今から40年以上も前の事、目黒銀座の入口に住んでいた。その頃は存在すらも気づいていなかったが、お世話になった電気店の裏手に目黒銀座の馬頭観音堂がある。当時の目黒銀座は昭和の商店街そのもので、大きなビルと言えば富士銀行の事務センター(現在はみずほ銀行の事務センター)と千代田生命本社(現在は目黒区役所)くらいのものだった。駅前の銀行は東海銀行だった。山手通りの向かいには狭いダイエーがあって買い物客であふれていたが、目黒銀座で買い物をする人の方が多かった。

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堂宇左奥に並ぶ石碑の内いちばん大きいのがここに馬頭観音堂が造られたころに立てられた馬頭尊祈念碑である。 大正12年(1923)のもので、「武州上岡妙暗示住職十九世佛光書」とある。武州上岡とはなぜと思うかもしれないが、この馬頭観音を勧請した元が、東松山市上岡にある妙安寺からの分霊だからだそうだ。

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線路わきの公園への通路を背にしていくつかの馬頭観音が並べてある。 最も古いのは割石作りの文字塔で正面に「馬頭観世音菩薩」とあり、台石に「樋口氏」とあるもので、明治40年(1907)4月の造立。

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上の写真の馬頭観音は時代が新しく昭和6年(1931)の角柱型文字塔で、正面には「馬頭観世音」また「目黒町上目黒 山崎トサ」とも彫られている。

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上の写真の石像は浮彫半跏像塔というらしく、馬頭観音が唯一彫られているものだが、時代はずっと新しく昭和47年(1972)7月のものである。背面に椎橋氏の名前が記されているが、もとは碑文谷にあったものをここへ移し、さらにそれを再建したものらしい。それでもこれが一番馬頭観音らしくて好きである。

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もう一つの馬頭観音塔は目黒区の史料にも載っていなかった。風化しやすい石で作ってあるのか。 真ん中に「馬頭観世音菩薩」とあり、その右側に「大正十〇年」とあるので、それくらいの年代なのだろう。

大正時代の終わり頃、この辺りには小規模な乳牛牧場や馬力運送の業者が多く、「目黒恵比寿畜舎運送組合」というものを形成していた。その組合や地元の神山氏らが発起人となり、牛馬の息災を護り、弔いをするために、東松山の妙安寺から馬頭観音を分霊したという。現在は勿論、40年余り前もその面影はすでになかったが、大正時代以前の地図を見ると、蛇崩川の左岸は諏訪山のふもとに田んぼが広がっていたが、右岸(現在の目黒銀座周辺)は武蔵野の林の残る傾斜地で、そこで牛馬を飼っていたとしても不思議ではない。明治時代の地図では、現在の中目黒GTあたりは駒沢通りまで牧草地帯だったようだ。

場所  目黒区上目黒2丁目14-6

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