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2019年9月12日 (木)

平太夫堀の辻の庚申塔(世田谷区北烏山)

平太夫堀を遡った庚申塔のところで登場した辻の庚申塔である。平太夫堀を遡った庚申塔から南へ260mほど下ったところにある。国道20号線からは100mほど北になる。 この通りはかつての千駄山通りで、昔は国道20号線は無かったので、このまま南下して(烏山)下宿で甲州街道に出た道。

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右の道が千駄山通りが下宿へ向かうルートで、左は平太夫堀の分流沿いの作業道だったようだ。昔の街道の宿場は間口税が掛けられていたので、甲州街道では10mほどの幅の土地でも裏に回ると何百mも奥まで土地が短冊のようになっていたはずである。これはどこの街道でも見られる区割り。

この辺りは薪や茅などが大量に獲れたところで、千駄山という地名の由来でもある。昔の単位で一駄というのは1頭の馬に背負わすことが出来る荷物の重さでおよそ36貫(135㎏)。千駄というと13.5トンという凄い量になる。それくらい薪や茅が豊かに獲れたということだろう。茅は当然ながら茅葺屋根の茅である。またこれより北東は上高井戸村だったので、ここは村境。従ってこの庚申塔も塞ノ神として祀られたのではないだろうか。

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向かって左の駒型の庚申塔は、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれている。造立年は嘉永5年(1852)11月。烏山村と9人の願主の銘がある。右側の舟型光背型の庚申塔は古く、造立は享保12年(1727)11月。こちらは青面金剛に三猿の図柄。施主には9人の銘がある。志村姓が多く、どちらも3人の志村姓が見られる。

庚申塔の近くには区立千駄山広場という公園があり、昔の地名をわずかに今に伝えている。

場所  世田谷区北烏山1丁目8-11

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