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2019年9月20日 (金)

別所坂上の庚申塔群[後列](目黒区中目黒)

さて、別所坂上庚申塔群の後ろの列にも3基の石塔がある。前後に特に意味はないようだ。戦前の地図を見ると、ここには鳥居マークが描かれていて、鎗ヶ崎で駒沢通りを水道橋で越えて来た三田用水が、この坂上で60度ほど南カーブして、その先にあった新富士の大外を回るように流れていた。別所坂のところだけが崖線が少し凹んでいるのは、ここに滝があったかららしいが、記録では用水の水が落ちていたというから台地を削るようなものでもない。おそらくはちょろちょろと流れる細沢があったのだろう。

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さて後ろの3基について右から紹介していくと、一番右奥は板碑型の庚申塔で文字はほとんど読めない。そのため目黒区の史料等を参考にした。文字は「奉開眼供養 南無妙法蓮華経 帰命帝釈天王」とあり、下部に三猿が薄く描かれている。造立年は寛文5年(1665)12月である。(下の写真)

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後中央(下の写真)は、明和元年(1764)12月の角柱型っぽい庚申塔で、6基の中では最も時代が新しい。青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏の図柄。見る限り造立年は読めないが目黒区の史料を参考にした。この塔の邪鬼は立っていて上から青面金剛像に踏みつけられている珍しいものである。

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そして後左の庚申塔は元禄10年(1697)11月の造立、駒型で青面金剛像、三猿、二鶏の図柄。この塔も彫りが深くてくっきりとしていて腕のいい石工の作品だと思われる。

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ただ左上部が少しだけ欠けている。しかし1600年代の庚申塔が4基、1700年代が2基、このように綺麗に残されているのは素晴らしいことだと思う。目黒川河岸段丘の崖線、三田用水、村境の塞ノ神である庚申塔と、歴史が詰まったポイントである。またこのすぐ東側の崖線上には目黒新富士があったことも忘れてはならない。

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現在は公園になっているが、坂下からの階段と坂上のかつては大蔵省財務局出張所であった隣接マンション敷地の両方からアプローチできる。しかし、坂下の入口は閉鎖されていることが多く、坂上のマンション脇も監視下に置かれ昼間(8:00~17:00)しか入れない。方角的に夕日がとてもきれいに見られると思うが、その時間帯に入ることは叶わないのである。公園に新富士の説明板がある。

「この場所の北側、別所坂を登り切った右手の高台に、新富士と呼ばれた富士塚があり、江戸名所の一つになっていた。この新富士は文政2年(1819)、幕府の役人であり、蝦夷地での探検調査で知られた近藤重蔵が自分の別邸内に築いたもので、高台にあるため見晴らしがよく、江戸時代の地誌に「是武州第一の新富士と称すべし」と書かれるほどであった。新富士は昭和34年に取り壊され、山腹にあったと言われる3つの石碑がこの公園に移設されている。」とある。

ちなみにかつての富士塚の標高は地理院地図では39.1m、しかし現在は30.73mほどになっている。ここは目黒三等三角点が置かれている場所である。

場所  目黒区中目黒2丁目1-20

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