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2019年9月22日 (日)

庚申橋の庚申塔(渋谷区東)

渋谷駅から恵比寿に向かって流れる渋谷川は最近時折脚光を浴びて存在を知られるようになった。江戸時代以前はかなりの暴れ川で、現在の金王八幡宮には館城があり渋谷川はその堀の役割を果たしていた。江戸時代になり、赤坂御門で江戸城内から出てきた鷹狩りの将軍などは、宮益坂を下り、東横デパートの場所にあった渋谷川の橋を渡って駒場方面へ向かった。そちらの道は大山街道で、そこが将軍や御三家の遊びに使われるときは、下流に架かっていた橋を民衆は使うことになる。江戸時代にも渋谷から恵比寿にかけては数本の橋が架かっていたが、その代表がこの庚申橋である。

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江戸時代、橋の江戸城側には宝泉寺、福昌寺、鷲峯寺があり、橋を渡ったところには横田筑後守という御小姓組(軍事担当の武官)の小旗本の抱屋敷があった。小さいがそれでも2千坪の別邸屋敷である。その橋の旗本抱屋敷側の屋敷の向かいに庚申橋南詰の庚申塔が立っており、現在も大切に祀られている。

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庚申塔であるが、実質は橋供養塔である。高さは137㎝もある大きな角柱型で、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれているが、それは石碑の上部のみで、他の大部分は人名と町名で埋め尽くされている。裏面にまでびっしりと彫られていて、橋講中世話役や各種講中の名前。渋谷区周辺は本より山の手全域の地名がある。

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渋谷川に架かっていた水車、三田用水の利用関係者、世田谷方面の農産関係の人々らが、この橋の大切さを刻み込んでいるように思われる。そのことは庚申塔の傍にある教育委員会の説明板にも書かれている。

場所  渋谷区東3丁目17-17

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