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2019年9月27日 (金)

十七が坂上の庚申塔(目黒区目黒)

十七が坂も当然ながら坂道ブログで紹介している。そこでも書いているが、十七が坂という珍しい名前の由来は、この坂上で十七歳の娘が殺されたからという説や、この坂で滑って転ぶと17歳の時に災いが起こるとか、そういうおどろおどろしいものがある。私は還暦を過ぎているので転んでも大丈夫なのだろうか。坂道のところでも庚申塔は取り上げたがここでは庚申塔を中心に…。

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まずはこの宝篋印塔(ほうきょういんとう)。造立年は寛永3年(1626)で東京都内最古のものと言われる。「庚申供養」「未来現在過去三世佛」と正面に書かれている。時代からして庚申信仰が広まり初めのころのものであろう。別面には菅沼一族の8人の銘があるようだが、菅沼一族と言えば、目黒権之助坂の菅沼権之助である。馬喰坂上の庚申塔にも菅沼の名前はいくつかあった。田道の名主だから、ここいらを取り仕切っていた豪農である。

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都内最古の庚申塔の脇にある板碑型の庚申塔は少しだけ時代が後だが、それでも明暦3年(1657)だから都内でも最古クラスの古い庚申塔である。真ん中には「奉造立庚申供養石塔一宇」とあり、「権大僧祐海法印」と銘があるので、祐天寺の開山僧祐海上人かと思いきや、祐天寺の開山は享保3年(1718)だから、この庚申塔よりも60年も後である。祐海上人が生きたのは1682~1760年。とすると「祐海」の意味はいったい何なのだろう。

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そしてすぐそばにある庚申塔と思しき風化が激しすぎる石仏も謎である。おそらく上の陰は青面金剛像、下には三猿が描かれていたような感じがするが、目黒区の史料にもなく、じっと見ていろいろな推理を楽しむ。左上に「天」の文字が見えるので、天保(1830~1844)、天明(1781~1789)、天和(1681~1684)のどれかが造立年である可能性が高い。他の2基の庚申塔から考えて天和の可能性もあるのではないかと思われる。しかし謎である。

場所  目黒区目黒3丁目3-21

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